人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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幸せ処方箋:彼氏・彼女をGETする方法

歌舞伎俳優の中村獅童さん(32)が10日、東京都中央区の歌舞伎座で緊急会見し、交際中の女優の竹内結子さん(25)が妊娠3カ月で、来月にも結婚するとの意向を明らかにした。(毎日新聞 2005年5月10日 19時12分)


いやはや最近は「できちゃった婚」がほんと多いね。私の周りにもたくさんいる。私は考えが古いのか、絶対それだけは避けたいと思って避妊にはかなり気を使ったものだが。

まあ何はともあれ、幸せであれば何も文句はありません。
『幸せを感じるのはどんな時?』のアンケートでも第一位に「大好きな人と一緒に過ごすとき 」と挙げられていたりするわけだからね。
で、せっかくなので、彼らから「彼氏・彼女をGETする方法」を学んで一人でも多くの人に幸せになってもらおうということなのだが、その秘訣はここにある。

2人は昨年9月、映画「いま、会いにゆきます」の夫婦役で共演、撮影終了後から交際を始め、中村さんがプロポーズしたという。


演技で恋人役・夫婦役をして、本当に恋人になっちゃったという話は芸能界ではごまんとある。
これは、脳には「自己正当化」機能というものがある為で、「私は彼の恋人である」という脳の認識を正当化しようとして、全ての出来事の原因を「恋人だからそうなんだ。そうしなければいけないんだ」という理由に自動的・無意識的に結び付けてしまうのである。

この機能を逆手に取れば、あなたが付き合いたい相手に対してあたかも恋人のように振舞えば、相手の脳は勝手に錯覚してくれるというわけだ。
「ああ、私たちは恋人なんだから手を握るのは当たり前だわ。恋人なんだから好きにならなくっちゃ」
これは特にファーストデートにおいて最強の裏技になるぞ!!
私もこれで何人落としたかしれない。さあ、早速試してみて欲しい。
幸運を祈る。

リトル・ダンサー(2000年)
男がバレエをするなんてみっともない・・・ストライキで失業中のパパは猛反対。でもビリーはボクシングよりもフットボールよりもバレエに心奪われてしまったのだ。

私はどうも家族モノに弱いようで、この映画も見事に私をホロリとさせてくれた。
最後に息子の晴舞台を見守る親父の顔、本当にいい顔してたなぁ。あの表情がこの映画の全てです!
裏切者とののしられながらも、息子の為に己の立場やプライドをかなぐり捨てた、親父の哀しくも力強いその背中。あんた、男だよ。それこそ男の生き様だよ。そして、そんな背中を見て子供は成長し羽ばたいてゆくんだね。
私もそんな背中を持つ父親でありたい。

バレエなんて女のするもの、そんな偏見や中傷にも負けず、己の道を突き進む少年ビリー。
人生とは己の100%の表現だ。ある者は料理によって、ある者は歌によって、ある者は文章によって、ある者は仕事によって、ある者は子育てによって、ある者は踊りによって、ある者は女装によって(笑)
何かを求めてとか、誰かの為にとか、そうした作為なく、ただ己が己であること、あるがままの私の自然の発露、手段が単なる手段でなく人生そのものに、私そのものになったとき、人は神の領域(ゾーン)に入る。
「踊っている時はどんな気持ちですか?」
「別に・・・いい気分です。最初は体が固いけど踊りだすと何もかも忘れてすべてが消えます。何もかも。自分が変わって体の中に炎が・・・宙を飛んでいるような気分になる。鳥のように、電気のように・・・そう、電気のように」

ふと、バレエ漫画『昴(スバル)』と重なった。
ただ「生きる」ということの「純粋さ」がそこにある。

幸せ処方箋:正しい供養の仕方
尼崎のJR福知山線脱線事故。
早いもので、あの悲しい事故が起きてから、ちょうど今日が二七日にあたります。
御遺族の方におかれましては、本当にお悔やみ申し上げます。
そして故人の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

テレビなどを観ていても、「どうして私の子だけがこんな目に」「なんにも悪いことをしていないのに」などと御遺族の悲痛の叫びが心に痛い。
死とはなんと理不尽なものなのであろうか。
そしてその悲しみは、時が経って薄れさせてはくれようが、決して一生消えることはない。残された者は、その悲しみを背負って生きていくこと、彼らのいのちを引き継いで生きていくこと、そして彼らが無事に光の世界へと入ってゆくのを見届けるまで元気に生きていくこと、それが使命でもあり、いや、むしろ義務と言ってしまってもよいかもしれない。

悲しみは人として当然のことである。
ただ意外に思うかもしれないが、あまりのショックに泣き崩れ「どうして私を残していってしまったの!」と遺体にすがりついたり、「人殺し!私の大事な人を返して」とJR西日本の社長を恨んだり、「人でなし!」と当日ボウリングに行った社員を弾劾したりと、激しく取り乱す人ほど、故人との絆が薄かった人であったりする。
大概そうした人の心の根底には「後悔」や「罪悪感」「自責の念」がある。
「あのときどうして○○してあげなかったんだろう・・・」
そんな自分の気持ちをまずは認めてあげること、それが前へ進む第一歩となる。

そして、これが一番大事なことだが、「故人の為にもっと何かをしてあげたかった」と思うのであれば、「故人の為に出来ることがこれからもたくさんあるのだ」ということを知って頂きたいと思う。
人は、自分のことを想ってくれる人、自分の人生を分かってくれる、理解しようとしてくれる、そんな人がいるのだということを心から実感したときに一番安心できるのだ。そして心が安心すれば心が柔らかくなる。心が柔らかくなれば物事を受け入れることが出来るようになる。そう、己の死という最も受け入れ難いものを受け入れる為には「安心」が必要なのである。
そしてそれが出来るのは、故人の最も身近な人間である「あなた」だけなのです!

「あの時あなたが言ってくれたこと、本当に嬉しかったんだよ」「あなたがいてくれたお蔭で、どんなに助かっていたことか」「あなたのお蔭で今の私があるんだよ」
そんな思い出を、感謝の気持ちを、暖かい心を、故人にどうかたくさん伝えてあげて欲しいと思います。

上戸彩の胸に輝くその言葉は
「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL」

作者不詳(御存知の方がいたら教えて下さい)



昨日、9時からのテレビ朝日系ドラマ『アタックNo.1』第四話を観ていた(おっさんのくせにこんなドラマを観てしまってほんとすいません・・・アニメ『アタックNo.1』世代?ということで何卒お許し下さい)。主人公鮎原こずえ役である上戸彩が「私のスローガンを発表しま~す」と言ってジャンバーを脱ぐ。その下には「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」の文字が。
「おお!」

実はこれ、もともとラグビーで生まれた合言葉、ラグビー精神を表す格言で、一般的には「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と訳されて、今では多くの企業や団体のポリシーやスローガンとして採用されており、何気に国民健康保険の理念だったりもします。
ところが、この言葉を「すべては私の存在の為に、私はすべての存在の為に」と意訳してみる。すると、なんと私の「至高体験」の実感を表すのにピッタリではないか!ということで、私の人生訓・座右の銘ともなっとるわけです。
もし「悟りを一言で言うと?」などと質問されたら、少なくとも私はこの言葉を挙げたいと思う。

そういえばモーニング娘。や松浦亜弥などが集まったH.P.オールスターズなるスペシャルユニットも『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!』なんて歌を歌っていたそうな。
う~ん、「悟り」は意外と身近にあるもんです。

幸せを感じるのはどんな時?
どうすれば幸せになれるかを探そうとすると、まず「幸せ」とは何か?という問いにぶつかる。
幸せとは何かを知るために、取り敢えず「人はどんなときに幸せを感じるか」を考えてみようと思う。

例えば、好きな人と一緒にいる時や欲しい物が手に入った時。幸せとは目に見えるもの?
例えば、おいしいものを食べている時。幸せとは舌で味わうもの?
例えば、心地よい音楽や芳しい香の中で優しくマッサージされながらゆったりとくつろいでいる時。幸せとは耳に聞こえるもの、鼻で匂うもの、身体で感じるもの?
例えば、困難な仕事を達成できた時や尊敬する人に認められた時。幸せとは心で想うもの?

あとは夢や目標に向かっているとき、好きなことやりたいことをやっているときなんかも幸せを感じるかな。
若い頃は、寝ているときが一番幸せって思っていた気もする。でも寝ているときは感じることは出来ないから、これはウトウトまどろんでいるときってことだろうね。
うちの嫁さんは、子供がお腹の中にいるとき幸せを実感していたみたい。

『アサヒビール』によるアンケート調査
第1位「日々、健康な状態で過ごせていること」

『愛媛銀行』によるアンケート調査
第1位 「家族全員で過ごす時間」

『財団法人健康・体力づくり事業財団』によるアンケート調査
第1位「毎日が元気で笑って過ごせるとき」
第2位「食事をおいしく食べられたとき」
第3位「心から笑えたとき」
第4位「朝、すっきり目が覚めたとき」
第5位「運動で汗を流したとき」

『株式会社アドバンスクリエイト』(保険業)によるアンケート調査(http://www.hokende.com/index.html)
第一弾「女の幸せって何?」
第1位 エステ・温泉・海外旅行など、日常生活から自由になれたとき
第2位 恋人(夫)と過ごしているとき
第3位 美味しいものを食べているときが、至福のひととき
第4位 子どもを産むこと、育てること
第5位 大好きな趣味に没頭しているとき
第6位 シアワセな、結婚をすること
第7位 仲のいい女友達と集まって、おしゃべりしているとき
第8位 ショッピング・エステなど、女を磨いているとき
第9位 その他(下記)
第10位 バリバリ働いて充実している、今が幸せ
第11位 合コンで出会ったイケメンと、デートの約束をしたとき
その他
・自分らしく生きていると実感できるとき
・自分の夢(仕事)に向かって努力している時
・自分の好きなものに打ち込んでいる時間
・心から笑えて、心から自分が好きだと思えてこそ輝いていられる
・女を越えて、一人の人間として充実すること
・ひとのお役に立てたと思える瞬間。経過した時間の多くが報われる
・「あの頃は良かったな。戻りたいな。」と思っていない時。即ち常時、シアワセを感じる
・バリバリ働いてはいないけど、自由に自分を実現できる今の環境がしあわせ
・子供に、産んでくれてありがとうと言われたとき
・生きていること。癌になってからですが・・・
・大切な人たちと一緒に居るとき
・他人と分かり合えたとき
・家族が皆健康でいる普段の生活をしている。ふと、こういうことが幸せなんだな~と思います
・家族の笑顔が溢れる休日を過ごしているとき
・家族が健康に過ごしていること
・夕食後にくつろぐ子供の後ろ姿を見ながら旦那とお茶をするとき
・みーんな元気で穏やかな朝を迎えられこと
・日向ぼっこしている朝
・瞑想しているとき。悟ること
・事情があってペットを実家に預けているので、ペットと一緒に過ごせたとき
・毎晩、フカフカの布団に入った瞬間!!
・何もしないでいい時間
・お天気がいい日、空を眺めながらのんびりする時

第二弾「どんな瞬間、シアワセを感じますか?」
第1位 大好きな人と一緒に過ごすとき
第2位 子ども(家族)が幸せでいてくれること
第3位 誰かに必要とされていると感じたとき
第4位 心から笑えて、自分が好きだと思えるとき
第5位 健康で過ごせること。生きていること
第6位 夢に向かって努力(活動)しているとき。その努力が認められたとき
第7位 のんびり、ひとりの時間を過ごすこと
第8位 他人とわかりあえたとき
その他
・パパと子供が暖かい日が射す窓辺で遊んでいる姿を、台所から見た時
・心が安定しているとき
・大好きな唄や曲につつまれている時
・毎日の食事がおいしいと感じられるとき
・大好きな人と楽しく会話しながらおいしいものを食べているとき
・出産し、母乳をあげたとき
・おいしいものを食べている時
・生きがいだと思えるものに関わっているときそれによって色んな感情を味わえる時
・大好きなぶりのお刺身を食べているとき
・ごはんを食べてるとき
・美味しいものを食べたとき
・家族みんなが朗らかに笑っていられること
・私は妊娠7ヶ月の未熟児で生まれ、45年間たった今でも五体満足でいられる現状に幸せを感じます
・ふとんに入って眠る瞬間
・次の日が休みの晩に布団に入った瞬間
・お風呂につかっている時
・犬と過ごしている時♪
・お気に入りのテレビや映画、歌手が世間から高く評価されたとき

幽体離脱に挑戦3
どうやら入眠時に幽体離脱を強く意識して寝ると、夜中眠りが浅くなったときに、一度目が覚めるようだ。

平成17年5月4日(水)AM3:00頃

またチャンスが来た!と思って二度寝の直前に、いつものように意識を残しておこうとしていると、身体全体が「ジワジワ~」っと痺れたような感覚になり、突然その感覚が「ドンッ!」と額の辺りに集中するように移動した。
「うぉ!」。一瞬目の前が真っ白になって、意識が「サァーッ」と明るくクリアーになった。

この時ほど強烈な移動感覚は無いものの、この感覚は瞑想において私が「止」と呼んでいる、外界の物音や痛みが気にならなくなる状態と全く同じであった。瞑想の場合はここから、深層意識より夢のような形でイメージが浮かんでくるのをただただ観察することになるのだが、なるほど私の仮説通り、やはり瞑想と幽体離脱のメカニズムは同じであるように思われた。
そんなことを考えているうちに、完全に目が覚めてしまった。

ある離脱体験者によれば、微細な振動(今回のやつか?)から大きな震動(これはおそらく前回のやつだろう)と経過し、その後金縛り状態から幽体を離脱させるのだという。
これまでの経験(といってもまだ一週間も経ってないが)から、これらは順を追って起こるのではなく、身体が眠りに入る瞬間に残した「意識の量」によって違いが出るのではないかと思う。
そして、なるべく「糸のように細く」意識を残した方が良いように思われる。
最近は張り切り過ぎて、意識を残しすぎているようだ。だから目が覚めた後目が冴えてしまってしばらく眠ることが出来なくなる。毎晩寝不足で、正直言って仕事に差し障る。なかなかキツイものがありますが、これからも頑張ってみます。

ちなみに振動中は身体から熱を発しているようで、寝汗がむちゃくちゃ凄い!

幽体離脱に挑戦2
初めての幽体離脱未遂は私が26歳くらいの頃だったと思う。
結構衝撃的な体験だったので、どこかに記録を取ったはずなのだが、残念ながら見つからないので、記憶を辿って書いてみる。

ところで私はまったくと言っていいほど霊感はない。
今まで幽霊を見たことも一度もない。
学生時代、与論島に行ったときに泊まった民宿に、霊感のある友人がどうしても入りたくないという部屋があって、そこに入ったときに「ねっとりとまとわりつくような重~い空気」がなんとなく感じられた程度である。
そんな私だが、神秘的なことに対する興味は人一倍強く、20代の頃は魔術や錬金術、催眠術などの本を読み漁った。その中の一冊に『体外離脱を試みる』(ロバート・ピーターソン:著)というのがあって、一時期そこに載っていたエクササイズを試していたわけだが、そんな頃にそれは起こった。

ある日、入眠時にエクササイズをしていたのだが、そのまま眠ってしまった。夜中の3時頃だったと思うが(これは体験後に確認)、一度目が覚めてしまい、でもまたすぐに眠れそうなウトウト状態のときに、ふと体外離脱エクササイズを思い出し、細い糸のような意識だけを残すようなイメージで睡眠に入った。

その瞬間!「ブルルン ブルルン ブルルン」と三回大きく身体が震動したのだ!

「うわぁー、うわぁーーー!」私は驚愕して大声で叫んだ。
でも隣で寝ていた、いつもなら小さな物音でも起きてしまうような私の彼女(現在の嫁)はぐっすりスヤスヤ寝ていたので、実際には声が出ていなかったのだろう。
それでも何か感じ取ったのか、あるいは偶然なのか分からないが、彼女の腕が飛んできて私の身体に当たり、それで目が覚めたのである。

こうして書いてみると、ほんと昨日の状況とよく似ているなぁ。
ただ昨日の震動は「ブルルン」ではなく「ブーン」という感じのより微細な震動だったし、それが長く続いたというのが異なる点。
不思議なのは、当時そんな劇的な体験があったにも関わらず、その日以来エクササイズをやめてしまったことだ。もう少し続けていれば離脱できたかもしれないのに、なぜか急に興味が失せてしまった。当時の私ではそれを知るにはまだ時期尚早だったということなのだろうか。
だとすれば、今ようやくその時期が来た、ということなのかもしれない。


幽体離脱に挑戦1
最近仲間うちで幽体離脱の話題になり、体験者の話を聞いてみると、どうも悟りの意識へ至る初段階の意識のようにも思われる。
ならば私も体験しないわけにはいかないぞ、と思い一昨日あたりから毎日寝入りばなに挑戦してみることにした。

平成17年5月1日(日)AM4:30頃

こんな早朝になぜか目が覚めてしまい、またすぐにそのまま二度寝に入る。このとき幽体離脱のことを思い出し、意識を残しておこうと眉間の辺りに集中する。

すると身体が「ブーン」という音とともに震動し始めた!

この感覚は今日で二度目なので、今回は焦ることなく冷静に意識を集め、身体が船の上で揺れるようなイメージをしながら「光の世界に行きたい。守護霊様引っ張って下さい」などと念じてみた。
今回は震動が比較的長く続いた。
意識が明瞭になり、身体の寝息がまるで他人のように聞こえる。「ああ、もうすぐかなぁ?」

ただ、その時の姿勢が、ひざがベッドから浮き上がり、身体がやや右に傾き、顔は左を向いているというかなり不安定な状態。さらに薄目が開いており、身体から遠くに離れるまでは目は開けない方がいいなんて誰かから聞いていたから、目を閉じようとするのだが、なぜか意志に従ってくれない。
そうした諸々の身体の感覚が気になってしまい、なかなか抜け出てくれないでいるうちに、嫁の腕が飛んできて、完全に目覚めてしまった。残念。
そういえば、前回も嫁に起こされたんだったっけなぁ。

ある男の至高体験8 ~変化~
(続き)
シンクロニシティは意識的に生きる者、目的を持って生きる者に起こる現象だ。
なぜかというと、「答え」はいつも目の前にあるのに、流されて生きているとそれに気づくことが出来ない。眠っている者には目の前が見えないのと同じだ。「己が原因になるぞ」とはっきりと意識し目を覚ましていようと努力する者だけがそれに気づくことが出来るのである。
それは例えるならば、道路標識は元からそこにあったけれど、免許を取得するまでは目に入らなかった。車を運転してみて初めて「街にはこんなにたくさんの標識があったのか」と驚くようなものだ。

私は生来の面倒くさがり屋で「先延ばし」タイプの人間であった。宿題はいつも休みが終わる前日に慌ててやるようなタイプである。禁煙するのに「よし、明日から始めよう」と思うタイプである。「いつかそうなりたい」と言いながら現状に不平を言っているタイプである。
だから、「まず自分が変わる」「自分が原因になる」を実行しようと思ったとき、特に気合を入れて意識していたのが「いますぐ始める」「一番最初にやる」ということだった。
(ついでに言うと、あと他には鏡に向かって「笑顔の練習」とか、「すいません」を「ありがとう」に言い換える、なんかも意識してやってみた。)

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」 
(米沢藩主上杉鷹山)


例えば、発言を求められたら必ず最初に前に出て発表するとか。
これは何も言うことが浮かばなくても取り敢えず前に出るようにした。そうして本当に何も言えない時には「もう少し考えてみます」とかなんとか言って下がればいい。とにかく今まで出来なかったこと、やっていなかったこと、今までとは違った習慣を付ける為に「まず行動する」という姿勢を大事にした。

そして誰も見ていないところでもそうした姿勢を心掛けた。
例えば、集会なんかで司会者が群集に向かって「○○に行ったことがある人ぉ~?」とか言ったときには必ず手を挙げるとか。
これ、自分としては結構恥ずかしいことの上位に入る。
しかし一体何が恥ずかしいのだろうか?実際のところ大勢の中の一人に過ぎない自分のことなど、見ている人など誰もいないのだ。結局恥ずかしいと思うのは自分の頭の中の問題だけなのである。

ある男の至高体験7 ~共時~
(続き)
心の壁は私がつくっていた。孤独は私がつくっていた。苦しみ、悩み、不幸、不運・・・すべての物事は私が引き起こしていた。私が創り出していた。私に責任がある。私が原因だ!
おぼろげながらにそう思った。
人生を変えたいのなら、幸運を期待するのではなく、相手を変えようとするのでもなく、私が変わらなければならない。いや、私が変わるだけでいいのだ。
結果に翻弄されるのではなく、己が原因となる生き方。
それからの私には、いわゆる「シンクロニシティ」が頻繁に起こるようになった。

シンクロニシティ(共時性原理)とは、20世紀を代表する心理学者ユングが提唱した概念で、因果律によっては説明できない「意味ある偶然の一致」などとも意訳されている。
これに関しては、ユングが患者と分析(カウンセリング)中、昨夜スカラベ(黄金虫)の夢を見たと患者が語った丁度その時、窓から黄金虫が飛び込んできた。それ以後行き詰っていた分析が飛躍的に進展したという逸話が有名だ。
ユングでなくとも、こういった経験は少なからずあると思う。
例えば、ある言葉を口に出した瞬間テレビで同じ言葉を言っていたり、ある人の噂をしていたら本人が現われたり。

もちろんその程度であれば単なる偶然で片付けてしまうのであるが、私にも「意味ある」偶然と思われるこんな経験があった。
ミュージシャンになりたい、そんな夢を捨てられず会社を辞めた同僚がいた。その後彼の勇気に触発されて、起業の夢を抱え私も退職した。それから数ヶ月、思ったように事が進まず不安になっていたときに、ふと彼は今頃どうしているだろうか?そんなことを思い浮かべたその日の午後。私は池袋に買い物に行ったのだが、なんとなくいつもと違う道を通ろうという気になってそちらへ歩いていくと、なんと交差点でバッタリと彼に出会った。いやはや驚いた。そして彼の頑張っている話を聞いて、また少し勇気を分けてもらうことが出来た。
一所懸命生きていれば、その時に必要な人が必ず現われてくれるのだ。

また、こんなこともあった。
少し時間が出来たので前から気になっていた店に行ってみようと思って出掛けたのだが、気晴らしに遊びに行きたいという誘惑もあり、迷い始めた。だが意を決して店に行くことにし地下鉄に乗った。そして最寄駅に到着し改札を出て階段を昇っていたとき突然、どうしても今日中に送らなければいけない書類を鞄の中に入れていたのを思い出した。もうすぐ郵便局が閉まってしまう時間だ。どうしよう、急いで探さなければ。焦りつつ地上に出てみると、なんと目の前に郵便局があったのだ。
このとき「ああ、正しい道を進んでいるんだなぁ」という感じがした。

ある男の至高体験6 ~宿業~
(続き)
では、輪廻の原因とも言える「臆病な自尊心」は一体どこから生まれたのか。
これはきっといわゆる優等生病というやつだと思う。
例えば、100点を取ったら褒められるという経験が続くと、100点を取らないと褒められない、認められないと思うようになってくる。
そうして人から優等生であると認められることが自分の存在価値だという思い込みから、他人からの評価を異常に気にするようになる。「評価への恐怖」。

最近の子供には「良い子」が多いという。そんな子供たちの心の闇にもきっとこの恐怖が巣食っている。もしも「うちの子は良い子だから手がかからなくて安心だわ」なんて悦に入っていたとしたら・・・早く気づいてあげて!

そして、この恐怖に対して「補償」という心の防衛機制が働き、なかば強迫的に努力して人より優れていることを証明し、評価を得ようとするようになるわけだ。
私は自他共に認める「努力家」であったが、このつながりに気づいた時「あぁ、私の今までしてきた数々の努力は、全て宿命だったんだなぁ」という想いがしみじみと感じられて天を仰いだ。

こうして生まれもった資質と幼少期の環境から否応なしに決定される「宿業」によって、私は努力し続け、他者比較による優越感が積み重ねられて自尊心が生まれた。
けれどもこれは他人からの評価に支えられた「臆病な自尊心」だった。
人の目を常に気にして神経をすり減らしながら生きてきたわけで、そりゃノイローゼにもなるわけだ。

~No.1にならなくてもいい もともと特別な ONLY ONE♪~
以前SMAPの『世界にひとつだけの花』が大ヒットしたその裏には、私のような「臆病な自尊心」を無意識に抱えている人が思いのほかたくさんいたんだろうなぁ。

・・・よく頑張ったね・・・

ある男の至高体験5 ~輪廻~
(続き)
心理ゲームによって気づかされた「心の壁」。それは「高慢さ」であった。
そして私が心理カウンセラー試験に落ちた理由も、まぎれもなくこの高慢さにあったのだろう。私がカウンセリングにおいて興味があったのは、相手の心であって相手そのものではなかった。気づかせてあげたい、そんな偉そうな気持ちがあった。そして気づかせてあげられるだけの知識と技術を持った自分への陶酔。
もしも面接官がそこまで見抜いて私を落としたのであったならば、今となってみれば心から感謝したい気持ちで一杯だ。とはいえ当時は見る目のないヘボ面接官に当たって運が悪かったと罵詈雑言を浴びせていたのだが。
この私の中の高慢さは自尊心であり、孤独でも生きていけると思い込むために必要とした見せかけの強さだったのかもしれない。
それは名付けるならば「臆病な自尊心」であった。

『山月記』という話がある。才能もあり気高い自尊心を持っていたものの、臆病にも実は才能のないことがばれてしまうのではないかと怖れて、人と交わるのを避けているうちに、膨れ上がった自分の中の傲慢さへの羞恥心から醜い獣の姿になってしまう男の物語だ。
この男の自尊心もまた「臆病な自尊心」であった。
ならば私もまたこの男のように醜い獣の姿になりかかっていたのだろうか。あるいは既になってしまっていたのだろうか。

私は「臆病な自尊心」という見えない心の壁を張ることで「自己愛」を強め、「他人に対する無関心」を表層意識上装ってきた。
しかしながらそれは全てが無意識に行われていたために、自分では本当に自分のことが大好きで自分以外のものには興味がないと思い込んでしまっていたのである。
そうして心を閉ざせば閉ざすほど、当然人は当たり障りのない表面上の付き合い以上に深く関わろうとはしなくなるわけで、そうすれば必然的に「孤独」を感じるようになってくる。
ところが人は「愛されたい、認められたい」という自己保存に基づく本能が生まれながらに備わっているので、どんなに一人の方が気楽だと思っていたとしても「孤独に対する恐怖」は必ずそこから生じてしまうのだ。
しかしその恐怖の感情を認めてしまうと、生きていくのが辛すぎる。だから心の防衛機制が働き、そんな感情など無いのだと思い込む「抑圧」、あるいは孤独を正当化するための言い訳である「合理化」によって、低レベルな人に好かれてもしょうがないなどと考えて自分から選んで孤独を求めているのだと思い込むのである。
こうして「臆病な自尊心」という名の「高慢さ」が高まり、さらに「孤独」な状況を作り、ますます「高慢さ」が高まり・・・。

永遠に続くメビウスの輪。

ある男の至高体験4 ~法悦~
(続き)
互いに抱き合うことを業界用語(?)で「ハグ」という。これ、第三者から見たらかなーり怪しい集団に見えるだろうな。特に日本では。
私もそういうのは嫌いなタイプだったけれど、あのときは本当にそうすることが自然な感じだった。
非日常的空間の中で自己の本性が顕わになった瞬間とでもいうのだろうか。

非日常といえば、私は伝統仏教の僧侶向けの大法会に参加したことがある。
部屋を真っ暗にしたり、火を焚いたり(そこは密教ではなかったので護摩ではない)、五体投地礼拝したりして、自己を非日常的空間(仏の世界)へと投げ入れる。
あのときの感覚も結構凄かったな。
身体がどんどん浮いていって、正面の仏にずんずん近づいていく感じで、仏の御顔がズームになってグッと大きく迫ってくるんだ。
その時に天上から妙なる美しい音楽が流れてきて私の身体を包み込んでゆく・・・

・・・ハーレルヤ ハーレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレールーヤー・・・
あれ?ここは仏教ではなかったっけ?
なぜか主の栄光の国の訪れを喜ぶキリスト教の賛美歌、ヘンデル『メサイヤ』のハレルヤコーラスが頭の中に鳴り響いた(お釈迦様ごめんなさい)。

このときいわゆる法悦を感じて自然と涙が溢れてきた。
すると後ろから光が差し込んできて(これは演出なのだが)、法悦の境地に浸っていたためか、部屋全体がキラキラキラキラと黄金色に輝いていて、それは本当に本当に綺麗で、そして本当に気持ちが良かったんです。極楽往生の心境はきっとこんな感じなんだろうね。

けれども「気づき」みたいなのは無かったな。泣いている人もそんなに多くなかったし。
そういう意味では現代心理学の成果を反映させた自己啓発セミナーの方が一枚上手だったかもしれない。あれは本当によく出来ている。機会があったら一度受けてみるといいと思う。ただ、中には洗脳セミナーもあるのでご注意を!

ある男の至高体験3 ~恐怖~
(続き)
私は「孤独」を愛した。いや、そう思い込もうとしていただけかもしれない・・・「孤独に対する恐怖」を押し隠すために。

私には友人がたくさんいたが、胸を張って親友だと呼べる自信は私にはなかった。いつも仲良し三人組とか五人組とかの一員だったけれど「好きな人同士ペアを組んで」などと先生から言われると、いつも心臓が高鳴った。生きた心地がしなかった。

私は自他共に認める冷血人間だったが、それでも若いうちはそれがクールに見えるのか、なぜか結構モテた。お蔭で「去る者追わず」なんて言って格好付けていたけれども、内心はちょっと付き合ったくらいで「俺、結婚するかも」とか「こいつのためなら死ねる」とか言える友人たちが羨ましくて仕方がなかった。私は中学の時の片想い以来、燃え上がるような情熱的な恋愛感情とは無縁だった。いつもどこか冷めていた。自分は一生人を愛すことのできない欠陥品なのではないか?と本気で思っていた。

私の遅刻癖もまた、その裏には相手に遅刻されることへの不安があったのだと思う。もっと言えばすっぽかされることへの恐怖。人から軽く見られるのがたまらなく嫌だったのだ。なぜならそれは、私が愛されるに値しない人間であることを証明してしまうから。「孤独に対する恐怖」が確かにそこにあった。

そうした心の闇に初めて気づかせてくれたのは、とある自己啓発セミナーに参加した際の心理ゲームの一つであった。
私の高慢さと孤独とを増大させた自己啓発セミナーが、皮肉にもその闇に気づかせてくれた。
「人が私の言うことを受け入れてくれないのは、彼らのレベルが低くて理解できないせいだと思っていた。そうじゃない!私の方が彼らを受け入れようとしていなかったんだ。私の方から彼らを遠ざけていたんだ!」
「心の壁」を造っていたのは私であった。
人前で泣いたことのない私であったが、このときばかりはこみ上げてきた熱いものを押しとどめることができなかった。馬鹿みたいに半ば笑ってでもいるかのような声をあげて私は泣いた。
私につられてなのか、それともそれぞれに思うところがあったからなのか、1/3くらいの人が泣いていたように思う。
そしてダムが開いて流れ出た水が河に合流するが如く、お互いに抱き合った。男も女も関係なく「心の壁」なんて元々なかったんだと証明したいかのように、自然に抱き合っていた。そこにはエロスなど微塵もなく、全き自然であった。

ある男の至高体験2 ~孤独~
(続き)
成功哲学とは潜在意識の活用だ。心理学の範疇である。だから自然と心理学を学ぶようになった。

そのうちに心理カウンセラーの資格を取ろうという気になった。半年間の講習を受けて、資格試験に臨んだ。一次の筆記試験をなんなくクリアし、二次の面接&ロールプレイング(模擬演習)も無難に終えた。この試験は「厚生労働省認定産業カウンセラー」という資格で、当時受験者の約6割が合格できると言われており、今まで、受験、就職と、何十倍もの倍率をくぐり抜けてきた挫折知らずの私にとってみれば、決して難しいものではなかった。

ところが見事に不合格・・・カウンセリングの知識も技術も人並以上にあった。だから落ちた理由は明らかに「人間性に問題あり」と判断されたとしか考えられないのである。勉強不足で落ちたのとはわけが違う。これは物凄くショックだった。存在自体を否定されたようなものなのだから。
半年くらいは何もやる気が起きず、息をしている死人のような状態で過ごした。幸い何事も少欲のためか自殺願望までは起こらなかったので今ものうのうと生きていられるのだが。
たかが試験で落ちたくらいでと思うかもしれないが、私にとってはそれ程のショックであった。

その後信じられるのは己だけだと感じ、ますます新しい知識を積み重ねて自分を高めていくことに夢中になった。付き合う人は、自分にとって役に立つか立たないか、それだけの基準で選んだ。こうして知識と経験と人脈が増えていくにつれて、自分に自信がついてくると、同世代はおろか目上の人にさえ「この歳でこの程度か」とも思うようになってきた。どうして私のアイデアの素晴らしさが分からないの?
私は、人が私の言うことを受け入れてくれないのは、彼らのレベルが低いために理解ができないせいだと思っていた。
そうした「高慢さ」が私をますます「孤独」にしていった。

思えば小さい頃から私は孤独であった。
人間関係が上手く出来なかったわけではない。友達はたくさんいた。ただ人間関係が煩わしかった。大勢で遊ぶよりも独りでいることの方が好きだった。人並みに女性にモテたいという願望は強く、その為の努力も惜しまなかったが、そんな努力をする自分が大好きなナルシストであって、女性を含めて他人にはあまり興味がなかった。だから待ち合わせにも必ず遅刻していて、自分はやるべきことがたくさんあるんだから暇な人には待たせておけばいいんだくらいに考えていた。

私は「孤独」を愛していた。


ある男の至高体験1 ~理想~
「すべてが在る!」・・・そして私はすべてのものから祝福された。

私にそれが起こったのは、28歳の秋。おだやかな朝であった。
掃除を終えていつものように瞑想に入る。
心は鏡だ。目の前の汚れを拭き取れば、それを映し出す心からも汚れが除かれる。そのために掃除をするのだと、どこかで読んだ記憶がある。
「諸惡莫作 諸善奉行 自淨其意 是諸佛教」、心を清めなさいと釈尊は語られた。それは勿論このような意味ではないが、一つの解釈としては面白い。
それで瞑想の前には必ず掃除をすることにしている。

私は26歳のときに縁あって、とある御住職の下に弟子入りをした。理由をよく聞かれるのだが、不思議な仏縁であったとしか言いようがない。

若い頃の私は夢追い人であった。夢を達成することこそ人生の成功であり、自己実現であると信じていた。成功哲学を読み漁り、自己啓発・能力開発セミナー会社に入り浸った。そこには精神的にも経済的にも凄い大人たちがたくさんいた。
彼らは家賃50万円以上のマンションに住んでいた。飽きてしまったときのために分譲ではなく賃貸にしていると言っていた。フェラーリにも乗せてもらった。海外にもしょっちゅう行っているようだった。そして彼らには確かにカリスマ性があった。理想の暮らし、理想の生き方、理想の人格がそこにあった。
彼らと接していると、同年代の友人たちが馬鹿にお子様に思えた。彼らの会話がひどくつまらなく感じた。どうしてこんなくだらない話題で盛り上がれるのだろう?どうしていつも愚痴ばっかり言っているのだろう?
「鷲と共に飛べ」、これはこの頃よく聞かされた教訓である。しかしそれは理想の大空へと飛び立つ代わりに、帰る場所を無くした渡り鳥のようでもあった。小さい頃からいつともなく抱えていたのであろう小さな小さな孤独の闇は、ここにきて気づかない内にじわりじわりと広がっていたのかもしれない。


泣ける話
友達とワイワイ騒ぐのもいい。
でもたまには独りで泣いてみるのもいいもんだ。

泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・
それは心が柔らかい証拠。
本当に悲しいときは涙が出ないんだって。
本当に怒ったときは無関心になる。
心が堅~く縮こまって、何にも受け入れられなくなっちゃうんだね。
だから心は柔らかい方がいい。

泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・
それは心のマッサージ。ストレスの発散。
とっても気持ちがいいね。
ネット上にも泣ける話はいっぱいある。
その中でも個人的に一番見やすくまとまっていると思っているHPを今日は紹介したいと思います。

中でも一押しの号泣話は次の3つ!!!
●ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!の中の「夫(゚Д゚)ゴルァ!」
●ありがとうって言いそびれたやついる?
●動物園の思い出AA(カーチャン)

『泣ける話・感動する話』
http://1yoshi.zero-city.com/html/nekehakouzu.htm


ああ、また号泣してしまったよ。ほんと何回見ても泣ける。
歳と共に涙腺が緩んできている今日この頃です。

最初のタロット占い師
革命前のフランスに、主に印刷業・出版業を営むカード占い師がいた。本名をジャンバプティスト・アリエッテ。タロットの世界ではペンネームであるエッティラ(本名を逆に綴り変えたもの)という名前の方が有名だ。
当時のフランスでは占いが大流行しており、かのナポレオンも占いで戦を決めていたと言われるほどである(ちなみに私の手相はナポレオンにそっくりなのです。前世かしら?)。
そんな時代に生きたエッティラは、ジェブランの「タロットエジプト起源説」を読んで、そこに己の占いの正統性・付加価値を見出したのだ。

さらには想像が想像を呼び、タロットの起源はエジプトの神人ヘルメス・トリスメギストスによって発明されたと主張するようになる。
ヘルメス・トリスメギストスとは「三倍偉大なヘルメス」という意味で、ギリシャの神ヘルメスとエジプトの神トートと錬金術師ヘルメスが同一視されて生まれた伝説的な人物であり、エメラルド板(万物照応などの錬金術奥義書)やヘルメス文書(キリスト教以前の知)の著者とされている。
このようにエッティラは、占星術や錬金術にも通じていたため、それらをタロットと結びつけた。
例えば、21番目のカード「世界」には楕円形の花輪が記されているが、これは錬金術の一にして全、始まりにして終わりの象徴「ウロボロス(尾を咬む蛇)」であるという。

こうしてここに神秘主義的タロット観が完成された。彼の解釈を元に創られたカードは、現在「エッティラ版」と呼ばれている。
特殊な解釈によって順番もタイトルもスタンダードなものとは全く異なるので、これを占いに使う人はほとんどいないだろうけど、世界の創造や人生の局面が暗示されているので、それらをイメージしながらカードを眺めるのもまた楽しからずや。

ショーシャンクの空に(1994年)
理不尽と暴力の渦巻くショーシャンク刑務所での人間模様。無実の罪で30年余も投獄された元大銀行副頭取のアンディは、それでも最後まで希望を失うことはなく・・・だが「必死に生きるか、必死に死ぬかだ」と言い残してある日忽然と姿を消した。

心に音楽を。音楽は希望の象徴だ。アンディはこの希望を胸に、古い慣習を壊し変えていく。そして忍耐と努力は周りの皆の心の壁をも打ち砕いていった。
無実の罪で投獄、これほどの試練はそうはあるまい。だが誰にも大なり小なり困難は付き物だ。生きるということはそういうことだ。いかに困難を乗り越えてゆくか、そこが肝心なのだ。
しかしそんなアンディに、親友となった調達屋レッドは言う。夢や希望を持っては刑務所では生きていけない。希望は危険だと。現実を見つめろと。
それは確かにそうかもしれない。希望があれば絶望も生まれるのだから。
だが、アンディの抱いていた希望とはそうした儚いものではなかった。「必死に生きるか、必死に死ぬか」。これは選択肢ではない。それはまさに現実をとことん見つめるということなのだ。そこには生きるも死ぬもない。そのとき生きるも死ぬも超越して「私はここにありき」。それこそが本当の希望なのだと思う。
そして彼は生きた。レッドも最後にはそこに気づくことができた。

一方、50年間を刑務所で過ごした図書係の老人は、仮釈放されて自由を手にした途端、自殺してしまった。
刑務所の壁。その壁を最初は憎むがやがて慣れ最後にはそれがないと不安になるという。壁の内側にいる限りは安心なのだと。
老人は壁のない不安に耐えられなかったのだ。
刑務所の壁は心の壁と同じだと思った。自分を守るために築いた心の壁は、だが他者を排除し自己を孤立させる諸刃の剣。その中での安心は変化を嫌う。それはやはり偽りの安心だ。生きるということは変化し続けるということなのだから。
壁に穴を掘る作業には不安や恐怖が付き纏うだろう。だがそれに耐え忍んでやり通した者にだけ祝福は訪れる。広大な空を見上げることができる。

「更生なんてない」。調達屋レッドのこの言葉も印象的だ。
悪かった人間が反省して良い人間に変わるわけではない。過去の罪や後悔は一生消えることなく、背負い続けていく十字架なのだ。良いことも悪いこともすべてひっくるめて「私」なのだ。私の「人生」なのだ。

素晴らしき哉、人生!(1946年)
父親の死後、自分の夢を犠牲にしてちっぽけな家業を継ぎ、他人のために尽くす小さな町の不運なジョージは、ある日大金を失い自殺を図る。人生に絶望するジョージの前に天使が現われて、自分の存在しない世界を体験することになる。

「一人の命は大勢の人生に影響してるんだ」
私がいる、ただそれだけのことでこんなにも世界が変わるのか。
物理学のカオス理論に、バタフライ効果という例え話がある。
「北京で今日蝶が羽を動かして空気をそよがせたとすると、来月ニューヨークでの嵐の生じ方に変化がおこる」

メリークリスマス!メリークリスマス!
彼が生きていることの意味を見つけた時、すべてが輝いて見えたことだろう。敵さえも愛しく見えたことだろう。
彼は結果として天使に、そして街の人々に救われた形ではあるが、それは彼が人並み以上に立派な人だったからなのだろうか?善因楽果、悪因苦果。確かにそれも言えるだろう。
しかし本当のところは彼が運命を呪うのではなく、運命を愛したからなのだと思う。
それは何も特別難しいことではない。ただひたむきに人生を生きること、生きることに徹すること。
そう、プールに落ちてなお踊り続けたあの日のように。
ああ、私はいまここにいる!

そして拍手を送りたいのは、玉の輿のチャンスも捨てて、そんな彼を愛し続けるメアリーだ。絶望するジョージに八つ当たりされても一言も文句を言わないのに驚いた。それどころか何も言わず彼の為に街中を走り回る彼女の姿を、是非昨今の女性たち(特に私の妻!)には見習ってもらいたいものだ(あんたもねと言われそうだけど)。
新婚旅行にも行けず、古い廃墟のような空き屋敷を改装しての貧乏な生活。そんな彼女の一番の願い事は愛する人と共にいることだった。ただそれだけだった。それだけだったから彼女は幸せだったのだと思う。何も期待しないこと、それが一番の幸せであることを彼女は無意識に知っていたのだろうか。

全部あたしが悪いのよ
イエス・キリスト
「なんじらのうち、罪なき者まず石をなげうて」

『ヨハネによる福音書』


仏教経典と比べてとにかく分かり易いのが聖書の良いところだ。中でもこの箇所はその筆頭であり、なおかつ誰の心にも響くものがあるのではないだろうか。
私たちはとかく人の行動を非難しがちであるが、「人は己の鏡」「人のふり見て我がふり直せ」などと言われるように、人は自分の中の認めたくない部分を他人に転嫁してしまう無意識の防衛機制(投影)が働く。こうした心の動きをよく観察できたならば、随分と人に優しくなれることだろう。
そんな私も昨日妻と喧嘩して「その態度がいつも険悪な雰囲気を作り出していることが分からないのか?」などと石を投げつけてしまいました・・・懺悔。

悟りと科学
レーザー光線を使った立体映像に「ホログラム」というものがある。
2004年発行の壱万円札と五千円札にも採用された、角度によって色や模様が変わって見えるアレである。
この技術を「ホログラフィー」という。物体で回折を受けた光波(信号波)と別の一様な光波(参照波)とを干渉させて生じた干渉縞を写真乾板などに記録し、それに別の光波を当てることによって信号波を再生し、物体の立体像を復元する方法である。
簡単にいうと、何がなんだか分からないまだら模様である「干渉縞」に、実は物体の三次元的な形状が記録されており、光を当てるとその隠された立体像が再生される。
このホログラフィーの摩訶不思議なところは、この干渉縞のフィルムの一部だけを切り取って使っても、どこも欠けることなく元の全体像が現れるのだ。
それぞれの部分は部分として機能しながらも、部分の中に全体が宿っている。

「一即一切 一切即一」(一つのものはすべてであり、すべてのものはひとつである)
個は個としての役割、人生を全うする。それぞれの個は相対立しながらも、互いに他を含み合い、一つである。個のそれぞれはその内に全体を宿しているのである。円融無碍。
その関係性の総体こそが自己である。そこでは全体が自己なのである。私は世界である!

このホログラフィーからヒントを得て、物理学者のデビッド・ボームは「ホログラフィー宇宙モデル」という仮説を提唱した。ホログラムは静的・固定的だが、宇宙は動的・流動的であるため「ホロムーブメント」と呼んでいる。立体像に当たる私たちの目に見える秩序(現象)をエクスプリケイトオーダー(明在系)、干渉縞のフィルムに当たる隠された内臓秩序をインプリケイトオーダー(暗在系)として、素粒子はある揺らぎの確率に従って暗在系から明在系に出てきてまた暗在系に戻る。その繰り返しが模様となって、物体ないし世界が認識されるのである。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。『方丈記』

悟りは有るのか無いのか
悟りなんてない。それなのに古来より人はそれを求めてきた。
やはり悟りはあるんじゃないか?
そう、悟りはある。と同時にやはり悟りはない。
有と無が矛盾することなく併存する世界。しかしそこには有も無もない。
有も無もないが有も無もある。これが悟りの世界である。
有と無の二相から離れることで、あるいは超えることで、有と無とを同時に手に入れることが出来る。それが悟りである。

何やら抽象的になってしまった。
こうした訳の分からないことも、科学を使えば分かった気になれるのが現代のいいところだ。量子物理学における「シュレーディンガーの猫」の思考実験をご存知だろうか。

まず、フタのある箱を用意する。この中に猫を一匹入れる。箱の中には他に、放射性物質のラジウム、粒子検出器、さらに青酸ガスの発生装置を入れておく。
もし箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これを検出器が感知し、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、猫は死ぬ。しかし、アルファ粒子が出なければ検出器は作動せず、猫は生き残る。
さて、箱の中の猫は生きているか、死んでいるか?
量子力学では観測前の猫の状態は原理的に生と死の重ね合せの状態であり、状態はシュレーディンガー方程式に従って決定論的に変化する。つまり、箱の中の猫は完全に死んでいる状態と完全に生きている状態が重なり合っている(半分、という状態がどこにも存在しないことに注意)という奇妙な状態が続いていると考える。
しかし観測結果は、常に生きている猫と死んでいる猫のどちらか一方である。

すべてを内包する可能性の折り重なり、これが悟りの世界(「無」)だ。
私たちの意識は常にそこにつながっている。例外なくどんな時でもだ。
そして意識を介して、いまここにおいて真実(「有」)が開示され続けている。
生きている猫を私が見た(選択した)ならば、猫は生きているのだ。
死んでいる猫を私が見た(選択した)ならば、猫は死んでいるのだ。
生きている猫を私が見ているのに、猫は死んでいたということは決してないのだ。

ただ心が過去や未来に行ったり来たりと落ち着かないせいで、私たちは普段そのことに気がつかない。
目の前にある真実を、ありのままを、受け入れることが出来ない。
意識に心をピッタリと添わせたとき、真実(「今」)はいつもここにあったということを明らかに知るのである。これを悟りという。





イマジン
あの頃には夢があった。十代から二十代半ばにかけての私は、夢追い人だった。
無人島を買い取ってオリジナルの貨幣を流通させるリゾート建設(クラブメッドのイメージ)、自分はそんな「ホテル王」になるんだということに疑いの欠片もなかった。

会う人会う人に夢を語ってきた。夢のない奴を非難したり、夢がある人ってかっこいいねなんて言われてのぼせたりもした。
逆にそんな子供じみたことをいつまで言ってんだと馬鹿にされたりもした。
有言実行が信条だったから、実際、当時唯一のホテル経営学科があった立教大学を受けたり、就職活動では大手ディベロッパーのリゾート開発部門を中心に回ったり、一獲千金を狙って会社を辞め独立を志したり…。
そんな一生を決めてしまいかねない選択を長い間私にさせてきた最初の動機というのが、中学の時にハマったシドニーシェルダンの小説『明日があるなら』だったか『真夜中は別の顔』だったかの影響をモロに受けてのことだったのだから、今となってはお笑い草である。

多くの大人達がそうであるように、夢は夢のままで終わってしまった。協力者が思うように集まらず挫折してしまった。折しも日本の「ホテル王」千昌夫が「借金王」になっていた。

そんな時に聴いたジョンレノンの『イマジン』は私の心を激しく揺さぶり、あるいは同じ立場であったという共感から、あるいは夢を諦めてしまった己の弱さを悔やんで、あるいは最後まで信じてついてきてくれた友を想って、そして結果的に裏切ってしまったことを嘆いて、はからずも私は号泣してしまったのでした。

You may say I am a dreamer.
But I not the only one.
I hope sameday you will join us,and the world of be as one.

小笠原(父島)
小笠原に行ったのは大学一年生の頃。当時は空港の建設が反対されていた為、延々28時間の長~い船旅でしか行くことの出来ない、日本から最も遠い日本。しかも東京都、憧れの品川ナンバーなんだよね。不思議な感じ。

もちろん島に着けばそんな疑問も疲れも吹っ飛んでしまうほどの青い海、白い砂浜。
ホエールウォッチングでの鯨の塩吹きも迫力だったが、その途中で百頭以上のイルカくん達に囲まれたのには大興奮!あいつらかなりのお調子者で、大きな歓声を挙げると一回転したりムーンサルトを披露してくれるんだ。
一緒の船にいた素潜りのプロの技術には驚いたなぁ。私らが酸素ボンベ着けて潜っているすぐ横で伊勢エビ捕ってやがった。まさにグランブルーの世界だよ。
初めて亀肉を食べた。どんな味かと聞かれても、う~ん、亀の味としか言えない…。

海も良かったが、一番は星空だ。手を伸ばせばすぐ届く所にあった。プロポーズは是非ともここでと思った。これは叶わなかったが。
その道中で光るキノコを見た。太陽系広しと言えども自ら発光できる恒星は太陽だけだ。あの明るい月ですら己一人では輝けない。なのにこんな近くに自ら輝けるものがいた、ということに新鮮な感動を覚えた。
考えてみれば蛍や夜光虫など光る生き物は案外たくさんいる。いのちって凄い。
そして人もまた、大いなるいのちの輝きなのだ!

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