人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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ある男の至高体験5 ~輪廻~
(続き)
心理ゲームによって気づかされた「心の壁」。それは「高慢さ」であった。
そして私が心理カウンセラー試験に落ちた理由も、まぎれもなくこの高慢さにあったのだろう。私がカウンセリングにおいて興味があったのは、相手の心であって相手そのものではなかった。気づかせてあげたい、そんな偉そうな気持ちがあった。そして気づかせてあげられるだけの知識と技術を持った自分への陶酔。
もしも面接官がそこまで見抜いて私を落としたのであったならば、今となってみれば心から感謝したい気持ちで一杯だ。とはいえ当時は見る目のないヘボ面接官に当たって運が悪かったと罵詈雑言を浴びせていたのだが。
この私の中の高慢さは自尊心であり、孤独でも生きていけると思い込むために必要とした見せかけの強さだったのかもしれない。
それは名付けるならば「臆病な自尊心」であった。

『山月記』という話がある。才能もあり気高い自尊心を持っていたものの、臆病にも実は才能のないことがばれてしまうのではないかと怖れて、人と交わるのを避けているうちに、膨れ上がった自分の中の傲慢さへの羞恥心から醜い獣の姿になってしまう男の物語だ。
この男の自尊心もまた「臆病な自尊心」であった。
ならば私もまたこの男のように醜い獣の姿になりかかっていたのだろうか。あるいは既になってしまっていたのだろうか。

私は「臆病な自尊心」という見えない心の壁を張ることで「自己愛」を強め、「他人に対する無関心」を表層意識上装ってきた。
しかしながらそれは全てが無意識に行われていたために、自分では本当に自分のことが大好きで自分以外のものには興味がないと思い込んでしまっていたのである。
そうして心を閉ざせば閉ざすほど、当然人は当たり障りのない表面上の付き合い以上に深く関わろうとはしなくなるわけで、そうすれば必然的に「孤独」を感じるようになってくる。
ところが人は「愛されたい、認められたい」という自己保存に基づく本能が生まれながらに備わっているので、どんなに一人の方が気楽だと思っていたとしても「孤独に対する恐怖」は必ずそこから生じてしまうのだ。
しかしその恐怖の感情を認めてしまうと、生きていくのが辛すぎる。だから心の防衛機制が働き、そんな感情など無いのだと思い込む「抑圧」、あるいは孤独を正当化するための言い訳である「合理化」によって、低レベルな人に好かれてもしょうがないなどと考えて自分から選んで孤独を求めているのだと思い込むのである。
こうして「臆病な自尊心」という名の「高慢さ」が高まり、さらに「孤独」な状況を作り、ますます「高慢さ」が高まり・・・。

永遠に続くメビウスの輪。
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