人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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全部あたしが悪いのよ
イエス・キリスト
「なんじらのうち、罪なき者まず石をなげうて」

『ヨハネによる福音書』


仏教経典と比べてとにかく分かり易いのが聖書の良いところだ。中でもこの箇所はその筆頭であり、なおかつ誰の心にも響くものがあるのではないだろうか。
私たちはとかく人の行動を非難しがちであるが、「人は己の鏡」「人のふり見て我がふり直せ」などと言われるように、人は自分の中の認めたくない部分を他人に転嫁してしまう無意識の防衛機制(投影)が働く。こうした心の動きをよく観察できたならば、随分と人に優しくなれることだろう。
そんな私も昨日妻と喧嘩して「その態度がいつも険悪な雰囲気を作り出していることが分からないのか?」などと石を投げつけてしまいました・・・懺悔。
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コメント
この記事へのコメント
わたしは、この前の部分のイエスさんがとても好きです。
しゃがみこんで、地面に何かしきりに書いていた、と言う部分です。
この時イエスは、何を考えていたのだろうか?
人々とともに、姦淫をしたおんなを裁いていたのだろうか?
当時の人々にとって、当然のさばきである投石による処刑を、何故、自らの体を張って、阻止したのだろうか?
おなじく姦淫をしたおとこは、さばかれない。
おんなだけが、投石で殺されるのである。
当時の人々の生活常識、宗教規範に、反している。
イエスは、そのおんなを、おんなじと見ていたのだ。
ウエストおんなじ、石を投げようとしているひとびとと、おんなじと見ていたのだ。
自分に石を投げて、自分を殺す人はいないだろう。
イエスは、しゃがみ込んで地面に何を書いていたんだろう。
2005/04/25(月) 19:37:30 | URL | ahasan #-[ 編集]
目の付けどころ
相変わらず面白いですね♪
遺書だったりして。
2005/04/27(水) 11:39:08 | URL | マンゴー #W8W63bPo[ 編集]
↑訂正;ウエスト→イエス

イエスさんが、しゃがみ込んで、地面に書いていたもの、それは、自己の罪を数え上げてたんじゃないだろうか。
そう、思うけど、どうだろうか。
2005/04/27(水) 13:33:53 | URL | あほさん #-[ 編集]
人々がいままさに石を握りしめ、不倫の片一方の女を投石で殺そうとしていた時、イエスさんは何もせず、しゃがみ込んで、地面に何か書いていた。
自己の罪を数え上げていたのだろうか?
人々の行為は、当時の律法に従っているもので、非難されるようなものでは、無い。
禅で言う、自我と仏性の仏性でそのおんなをとらえていたのでは、無かったか。
女と、イエスさんと、民衆と、差を見ず、おんなじと見た時、自分に自分が石を投げて殺すという事は、あり得ない事だからです。
女を救ったのではなく、イエスさん自身も、民衆も、同時にすくったのだと言えます。
そう思いますが、いかがでしょうか?
2005/05/24(火) 22:17:51 | URL | ahasan #-[ 編集]
答えは自らの内に
この場面は、姦淫の女を裁くというよりは、律法学者やパリサイ人たちがイエスを陥れようとする場面ですね。だから・・・

>女を救ったのではなく、イエスさん自身も、民衆も、同時にすくったのだと言えます。

・・・は、まさしくその通りだと思います。
答えは自らの内にあるということを説教ではなく伝えられるイエスさんはやっぱり素敵ですネ。
2005/05/27(金) 08:01:54 | URL | マンゴー #W8W63bPo[ 編集]
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