人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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悟りは有るのか無いのか
悟りなんてない。それなのに古来より人はそれを求めてきた。
やはり悟りはあるんじゃないか?
そう、悟りはある。と同時にやはり悟りはない。
有と無が矛盾することなく併存する世界。しかしそこには有も無もない。
有も無もないが有も無もある。これが悟りの世界である。
有と無の二相から離れることで、あるいは超えることで、有と無とを同時に手に入れることが出来る。それが悟りである。

何やら抽象的になってしまった。
こうした訳の分からないことも、科学を使えば分かった気になれるのが現代のいいところだ。量子物理学における「シュレーディンガーの猫」の思考実験をご存知だろうか。

まず、フタのある箱を用意する。この中に猫を一匹入れる。箱の中には他に、放射性物質のラジウム、粒子検出器、さらに青酸ガスの発生装置を入れておく。
もし箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これを検出器が感知し、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、猫は死ぬ。しかし、アルファ粒子が出なければ検出器は作動せず、猫は生き残る。
さて、箱の中の猫は生きているか、死んでいるか?
量子力学では観測前の猫の状態は原理的に生と死の重ね合せの状態であり、状態はシュレーディンガー方程式に従って決定論的に変化する。つまり、箱の中の猫は完全に死んでいる状態と完全に生きている状態が重なり合っている(半分、という状態がどこにも存在しないことに注意)という奇妙な状態が続いていると考える。
しかし観測結果は、常に生きている猫と死んでいる猫のどちらか一方である。

すべてを内包する可能性の折り重なり、これが悟りの世界(「無」)だ。
私たちの意識は常にそこにつながっている。例外なくどんな時でもだ。
そして意識を介して、いまここにおいて真実(「有」)が開示され続けている。
生きている猫を私が見た(選択した)ならば、猫は生きているのだ。
死んでいる猫を私が見た(選択した)ならば、猫は死んでいるのだ。
生きている猫を私が見ているのに、猫は死んでいたということは決してないのだ。

ただ心が過去や未来に行ったり来たりと落ち着かないせいで、私たちは普段そのことに気がつかない。
目の前にある真実を、ありのままを、受け入れることが出来ない。
意識に心をピッタリと添わせたとき、真実(「今」)はいつもここにあったということを明らかに知るのである。これを悟りという。





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2005/05/28(土) 16:14:06 | 自信と成功の研究
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