人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-) ▲目次へ

いばらの道
「幸せ」と「悟り」とは、その構造的に大変よく似ている。両者とも自己の外部に求めるものでなく「今ここにあるもの」であり、得たり失ったりするものでなく「在りて在るもの」である。
しかしもちろん違いはある。
「幸せ」はじわじわぁ~と噛みしめるように、優しく広がってゆくように感じられるものであるが、「悟り」は百千の太陽が同時に輝くようであるとか、セックスのエクスタシーの何十倍の歓喜であるとかの表現が示すように、強烈な感覚を伴う。
「幸せ」は人生を付加的に豊かにしてくれるスパイスのようなものであるが、「悟り」には人生を変えてしまう程の力がある。
そして最も大きな違いは、「幸せ」を求めることには何のリスクもないが、「悟り」を求める為にはリスクを背負わなければならないのだ。
「幸せ」を求める道は「希望の道」である。
「悟り」を求める道は「絶望の道」である。

ニューエイジ書にあるような口当たりの良い言葉はまやかしだ。
「ありのままでいいんだよ」「やりたいことだけすればいい」
これらの言葉は嘘ではない。だがしかし、覚者が希望の道を歩む者に対して投げかける言葉であって、求道者にとっては悪魔の囁きに等しい。
求道中にもしも、それは理解できる、受け入れられる、共感できる…そう感じたならば、巨石を抱えて海に飛び込むようなものだ。即刻その石を手放しなさい。

つまり悟りを得る為には、価値観を壊さなければならないということだ。それは今まで積み上げてきた人生の全否定だ。「私」を殺さなければならないということだ。それはアイデンティティの崩壊だ。
「黄金の果実」というと甘美なイメージがあるが、その実は白雪姫の「毒りんご」なのである。一度死んで、王子のキスで眠りから覚めることが出来なければ、現実に適応出来ずにそのまま廃人ゆきは必至である。
それでいて、悟りを得たらどんなご褒美が待っているのかといえば、答えは「得るものは何もない」だ。覚者は言う。「悟りなどない」のだと。
それでも尚!という覚悟がないならば、今はまだ悟りへの道を選ぶ時期ではない。

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。