人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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グッバイ、レーニン!(2003年)
母が心臓発作で昏睡状態に陥っている間に、ベルリンの壁は崩壊した。息子アレックスは、愛国主義者の母に二度とショックを与えないよう、崩壊以前の東ドイツを強引に演出するのだが。

「親孝行したいときには親はなし」などとはよく言ったものだ。
「泣ける話」などを見るにつけ「ああ、親孝行しとかなきゃなぁ」と思うのだが、分かっちゃいても気恥ずかしいというか、親孝行というものはなかなか難しい。
「母親のために」と想うゆえに、嘘のニュース番組を作ってまでドイツ統合の事実をなんとか隠そうとするアレックスの行動には、少々行き過ぎた感もあるが、親孝行の出来ない私にとってはなんとも羨ましく思えてくる。

ところで、どこの国の宗教でも道徳でも、口を揃えて「嘘をついてはいけない」と言われるが、一体どこまでの嘘なら許されるのか。
「相手を傷つけないための嘘」というものは本当に存在するのだろうか?
アレックスの嘘を見ていて、ナチスにより強制収容所へと連行されてしまった父が幼い息子に悲惨な現実を悟らせぬよう「これはゲームなんだよ」と笑顔で悲しい嘘をつく『ライフ・イズ・ビューティフル(1997年)』を思い出した。
もちろん、浮気を隠すための嘘を「相手を傷つけないための嘘」とすり替えてしまうのは論外である。

こうした問いは「ガン告知の是非」などの論議にまで発展しそうであるが、私としてはどんな嘘だろうが嘘は嘘であって、やはり「嘘をついてはいけない」と思う。
いくら「相手のため」と思い込んでいたとしても、ほとんどの嘘はつまるところ「自分のため」であるものだからだ。
アレックスの嘘もまた、最初は純粋に母親のためのものであったはずが、最後には己の理想の投影となっていたことに自分でも気づいていた。
ただ、そうではあっても彼の生き様が全て嘘であったことにはなるまい。そんな彼の嘘をほほえましく見守る母親の、息子の横顔に注がれる温かいまなざしが美しい。
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小さな幸せ:気が利く店員さん
メガネのパッド(鼻あて)のネジがいつの間にやらゆるんでいて、右側のパッドをどっかに落としちゃったらしい。気づかないまま半日くらいを過ごしていた私も私であるが、嫁さんに指摘され、早速近くのメガネ屋さんに行った。
小さな店だが先客さんが2人いて、2人しかいない店員さんが対応に追われていたので、後ろの方でヌボ~として立っていると、アシスタントっぽい女性がイスを持ってきてくれた。ありがたい。
腰掛けて少し待っていると、紅茶を出してくれた。それも紙コップとかでなく、きちんとしたオシャレなティーカップでだ。
「まぁ~随分とサービスがいい店だねぇ」と思っていると、一人お客さんが帰ったので、パッドの交換をお願いした。300円でした。
お茶代を考えると「なんか得した気分」になって、気持ちよく店を出て自転車に乗ろうとしていると、アシスタントの女性が出てきた。

「あのぉ、余計なことかと思いましたが、タイヤの空気が減っていたので入れさせて頂きました」

ええ~!びっくり!!メガネ屋さんでこんなことまでしてもらえるの?なんて気が利く店員さんなんでしょう。
あるいはもしかしたらそういうマニュアルがあったのかもしれないが、いずれにしてもとても清々しい気分になって「また何かあったら来よう」という気持ちになったよ。

昨今では「顧客満足度」という指標を前面に押し出している企業が増えている。商品の良し悪しや価格の安さはもちろんだが、やはり最後の決め手は「人の心」である。その他大勢の一人でなく、世界にただ一人の「私」のことを大事にしてくれる、そんな心の触れあいが「また来たい」と思わせる。
例えば名前を覚えていてくれて呼びかけてもらったり、店に行くと必ずシェフ自ら挨拶に来てくれたり。私が何度も足を運ぶ店はそんな気の利かせ上手な店ばかりである。

こうした気の利かせ方は、どうやら女性の方が得意なようだ。私の勤務先でも異常に(笑)気の利く女性がいて、彼女の発案で突然の雨に対応できるように大量にビニール傘を用意しておいたりなどのいくつかのマニュアルが出来ている。
皆さんの身近にもきっとそんな女性がいるはず。そんな女性をもっと大事にして、彼女の行動やアイデアをマニュアル化しておけば、随分とお客様に喜んでもらえる顧客満足度の高い会社になると思います。
とはいえ、もちろんその場その時の臨機応変の対応がやはり一番なわけで、これは訓練しなければ身に付かない。いつも「どうしたら喜んでもらえるか」を心に留めながら試行錯誤していく中で、少しずつ身に付いていくものだ。
そして、こうして身に付けた力は、仕事だけでなく恋愛や近所付き合いにも生かされてくるようになる「一生の宝物」だ。
私も「気配り上手」を目指そうと思う・・・が道のりは遠い!?

幽体離脱に挑戦6
今日は体脱するゾ!と思えば大分出来るようになってきた感じ。

平成17年5月29日(日)AM6:30頃

今日の抜け方は、身体の足元を軸に幽体が直立したまま「スポンッ」と跳ね上がりながら飛び出た。
けれどもドアの方を見た瞬間、身体の方の視覚とダブって二重映像になり、身体の視覚の方へフェードイン。浅かったか・・・

「もう一度!」と思っていたら、また身体が震動してきたので身を任せていると、足だけが身体から浮き上がってきた。
その浮き上がった足を見てみると「幽体は透明」だった。「ほお!」
今度は自然に抜けなかったので、ローリング法(寝返り法)で抜け、身体を振り返ってみたら今回も身体は無かった。うーん?
「今度こそ部屋から出るぞ!」と張り切ってみるものの、相変わらず今回も身体の引力がもの凄い。台風レベルの逆風に向かっていくような感じ。あるいは幽体の頭のあたりにゴムのひもがついていて後ろに引っ張られるような感じ。
身体と幽体をつなぐ「シルバーコード」なるものがある(これが切れると身体に戻れなくなる?)とどこかで読んだ記憶があるが、これがそれなのか?
思い切って水泳の飛び込みやヘッドスライディングのようにジャンプしてみたら、部屋の出口の柱に手が届いた。柱をしっかり掴みながら、なんとか腕力で隣りの部屋へ。「やった!」
・・・その瞬間身体へと戻ってしまった。

ラブ・アクチュアリー(2003年)
舞台は冬のロンドン。秘書に恋した英国首相、入社以来2年7カ月片思いしている女、妻に先立たれた男、11歳の男の子の恋心、ミステリー作家の異国の愛などなど、19人の男女の物語がクリスマスに向けてそれぞれのハッピーエンドを目指す!

子供だろうが貧乏だろうが首相だろうがみーんな恋愛したいのだ。
「世界は愛に溢れている」がこの映画のテーマなのだそうだが、愛というよりは恋の物語。
正直恋愛映画は趣味でないのだが、嫁さんが借りてきたのでお付き合い。

恋が実った人たちに共通することは「攻め」の姿勢だろうか。やっぱり待ってるだけでは白馬の王子はやってこない。
言葉の壁を乗り越える為に語学教室に通ったり、ボーカルの少女に近づく為に苦手な楽器を練習したり。
「気持ち」は目に見えないものだから、言葉や行動や物というような目に見える「形」にしてあげることが大事だというわけだ。
「私の為にここまでしてくれるなんて」と思わせたら勝ちである。
とはいえ大概その形によって浮気もバレるわけだが・・・。

今まで頭が上がらなかったアメリカ合衆国大統領に対して、恋愛がらみの嫉妬から一転強気な宣戦布告をしてしまい、でもそのお蔭で一躍国民の英雄になった英国首相。
「英雄」というのは大抵弱き者にとっての代弁者なんだね。
ただ、敵をつくることによって初めて英雄が生まれるわけだから、英雄は幸せになるのは難しいかもしれない。ナポレオンしかり。
それにしても首相!恋愛にハマリ過ぎです。ちゃんと国政して下さい。

生き方として素敵だなぁと思ったのは、芸能界復帰を目指すロートル俳優ビリー・マック。
成功して女性もよりどりみどりという場面で、クリスマスの夜を過ごす相手に、長年苦楽を共にしてきた冴えないデブ男のマネージャーを選んだ彼は「粋」でした。

全体的にハッピーエンドな中で、一人だけかわいそうな女性がいる。長い間の片想いがせっかく両思いになれたのに、障害のある弟の世話の為にその恋を捨てざるを得なかった彼女。
でもそんな自分の選択を心から受け入れ信じることが出来た時、きっと彼女が一番幸せになれると思う。
苦悩を乗り越えてこそ、本当の意味で人生の意味を理解し、己が、そして全てが肯定されるのだから。

幽体離脱に挑戦5
どうやらコツを掴んできたみたい!?
本日はなんと3種類の抜け方を経験した。

平成17年5月24日(火)AM6:30頃

今日も嫁さんを見送った後、対外離脱のチャンスとばかり二度寝に入る。取り敢えず早く身体を金縛りに近い状態に持っていくために、今回は「自律訓練法」を使ってみた。

自律訓練法は、ドイツの精神医学者、ヨハネス・ハインリッヒ・シュルツがつくりあげたものである。1932年に初版が出版された彼の名著『自律訓練法』には、「集中的自己弛緩法」という副題がつけられているが、そのことからも推しはかることができるように、この方法は緊張をとり除くことが基本的課題になっている。一方、その本のはじめの部分には、「自律訓練法というのは、催眠をかけられた時と同じ状態になるように合理的に組みたてられている生理学的訓練法である」とも述べられているように、催眠をもとにしてつくられたものである。

標準練習は、基本的な練習である安静練習を含めると、次のような七段階の練習からできている。
背景公式(安静練習)・・・「気持ちが(とても)落ち着いている」
第一公式(重感練習)・・・「両腕両脚が重たい」
第二公式(温感練習)・・・「両腕両脚が温かい」
(以下略)

『自律訓練法の実際』(佐々木雄二:著)


これが効果を奏したのかどうかは分からないが、一回目の離脱が起こった。
上半身だけが「スッ」と浮き上がったので、幽体(?)の手を使って「よっこいしょ」と身体から離れた。
だがすぐに身体に戻ってしまった。

「もう一度挑戦」と思っていると、左の方からお経のような声がして(この時は霊の声かと感じたが、後から考えると隣りの部屋のテレビの音だったのかもしれない)、離脱できそうな感覚(意識が変化した感覚?)がしたので、今度はとある離脱経験者の方法として書かれていた「寝返り法」を使って「ゴロリ」と寝返りを打つようにして身体から抜けた。
ベッドの下に落ちてから、「抜け殻を見てみよう」と思ってベッドの方を見ると、なぜか身体が無かった。
「あれ?抜けてなかったかな?」と思っていると誰もいないはずの隣りの部屋でガサガサと物音がするのが聞こえた。「泥棒?」と思って見に行こうとするのだが、身体が思い通りに動かず(下半身が歩こうとするのだが上半身がついてこない感じ)、「クラクラ~」と妙ぉ~に眠くなって、「駄目だぁ、もういいや」と思ってベッドに戻って寝直した。

しばらくすると、前回のように主に下半身の方に震動が起こり、「ズルリ」と足元から滑り落ちるようにして抜けた。
床に落ちたのを手で触って確認し、とにかく身体から離れようと歩伏前進のような姿勢でドアの方へ向かう。視界は白い霧がかかったような感じで目指すドアが見えるのだが、上の方に覆い被さるような何かも見える(これは後で枕元のカーテンだったと判明。幽体の視覚と身体の視覚が二重にダブっていたようだ)。
えらい強い力で後ろの方に引き戻されるのを、四つん這いになって必死に抵抗して前に進もうとするのだが、結局力に負けて身体に戻ってしまった。

ある男の至高体験9 ~波乗~
(続き)
結果や見返りを求めないで「自分が原因になる」という生き方は確実に私の人生を変えてくれた。

「万物は流転する」
(古代ギリシャの哲人ヘラクレイトス)


人生には波があるように思う。そして波は絶え間なくやってくる。どの波に乗るかを見定め、さらにその狙ったビッグウェーブに乗れるかどうかは各人の力量次第だ。

高校生の頃、親父サーファーの叔父に連れられて、初めてサーフィンなるものをした。
湘南あたりで始められれば良かったのだが、初心者の私にとって時折チューブの起こる玄人向けとして有名なそのビーチは荷が重く、ランディングポイントに辿り着くだけでも一苦労だ。ポイントに近づくにつれて当然波が高くなってくるわけで、間近で見る高波は恐怖の一言に尽きる。波打ち際で戯れている方がどれだけ楽しいか。わざわざ危険に向かっていくサーファーの気が知れないと思った。そしてなんとかポイントまで辿り着いても、タイミングが合わなければ全くボードは進まないし、合っても小さな波だとちょっとしか進まない。つまらん。また、バランスを崩して落っこちれば波に飲み込まれ上下左右も分からなくなって地獄を見る。跳ね上がったボードが私をめがけて落ちてきた時にはほんと死んだ!と思ったよ。

あの頃は「乳首が擦れて痛いっ!」としか思わなかったが、今にして思えば、まさに人生と同じである。
自分を変えようとすることは難しいし、ある意味恐怖ですらある。
人は変化を嫌う。多少不満があっても現状維持している限りは良くもならない代わりにこれ以上悪くもならない。大きなリスクがないのだから安心だ。多くの人は不平不満を口にしながらも、こうしたコンフォートゾーン(波打ち際)から抜け出ることなく一生を過ごすのだろう。
しかし中には勇気を出してパドリングを開始する人もいる。恐怖に打ち勝って行動を起こしても、まずやり方が間違っていれば波に乗ることは出来ない。時期もある。大波の前後の小波に乗ってしまえば苦労して得たせっかくの幸運も長くは続かないだろう。そしてリスク。失敗すれば世間の波に翻弄され自分を見失ってどん底を這いずり回ることになるのである。

それでも波は絶え間なくやってくるのだ。上手くいくまで何度でも挑戦すればいい。
そうして勇気と行動と方法と時期が揃ったとき、人生は大波に乗った如くに好転し始める。自然に前へ前へと押し出され、やることなすこと上手くいくようになる。今まで私を苦しめていた人生の荒波は、いまや足元に平伏し私の支配下にあり、世間という海の上を、流されることなく自由自在に動き回ることができるのだ・・・「快っ感!」

そんな私のパドリングは、とあるトランスパーソナル心理学の勉強会から始まった。


幽体離脱に挑戦4 ~成功!?
最近まったく進展がないなぁと思っていたら・・・とうとうやりました!?

平成17年5月18日(水)AM6:30頃

共働きの嫁さんを「いってらっしゃ~い」と送り出した後、今日は私の出発はゆっくりめなので、もう少し寝ていようとベッドに入る。最近何も変化が起こらないので、少し強めに「身体から離れたい!」と願って、いつものとおり小説『蜘蛛の糸』の登場人物のように細い糸にぶら下がっているイメージをしながら眠りについた。
すると今日は下半身の方だけ震動が起こり「おっ!」と思ったのだが、すぐにおさまってしまい、「あーあ、残念。今日も駄目かな?」と半ば諦めながらも、もう一度挑戦。
そしたら身体全体が「じわ~」としてきて、突然・・・

「ズルリ」と意識(幽体?)が足元の方にずれていって、すべり落ちるような感じで身体から抜けた!!!

「やった!」
何故だか「壁抜けがしてみたい」と思って寝室の扉の方に向かおうとしたのだが、気づいたら天井の目の前に上を向いて浮かんでいた。電気が目の前にある。
霊的な存在がいるかな?と思って周囲に気を配ってみたが、どうやら近くにはいないようだ。
それで、ひっくり返って真下に寝ているはずの自分の姿を見てみようと思うのだが、うまく反転できない。
しょうがないので、取り敢えずこの部屋から離れることが先決だと思い、その態勢のまま壁の方に向かって泳ぐような感じでじたばたともがいているうちに・・・身体に戻ってしまった。

ブログと箱庭療法
さてさて、お前のブログは重すぎるとのご指摘により、デザインも大幅リニューアル。どうでもいいことだが、今度のデザインは実は、私の家のリビングの色調になっとりますです。
ところで初期の頃からご覧頂いている方々には、なんだか見る度にブログパーツが加わったり無くなったり、タイトルやデザインが変わったりするなぁと苦々しく思われているに違いない。
その時は「これだぁ!」と思うのであるが、しばらく経つとなんだかどうもしっくりこなくなって、心がモヤモヤしてきて、その事をずうっと考えているとあるとき突然アイデアがひらめく。「これだぁ!」。
そんな繰り返し・・・。
ほんとリンクして下さっている方にはご迷惑をお掛けしておりますが、こうして「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤しながら自分の納得できる形を創りあげていく過程はなかなか楽しかったりする。

『幸福論』(春日武彦:著)によると、内向的なミニチュア指向によって自分の世界を縮小し、その箱庭の中に自分だけの小さなユートピアを作り出す「幸福もどき」なるものがあるという。

小さな世界は、すべてを把握し管理することが可能となる。不快なもの、おぞましいものを排除し、なおかつミニチュアの世界がこの世の中と対応し釣り合っているかのような錯覚を自分に与えることが出来る。そのことによって安心感が生まれる。


まさにブログの世界はそんな小さなユートピアになり得る。
そのミニチュアの世界においては神になれるのだ。好きなものを創造し、維持し、破壊する。また毒舌の悪魔にもなれるし、理想の人物や女になりすますことだって出来る(笑)
そんな安心感と万能感(匿名性の高さによる非日常性から生まれる開放感)の中で、人は現実の日常生活の中では口に出来ない心の内面を自然とさらけ出してゆくのだ。
(信頼と安全性の確保からくる「安心感」と非日常的空間における「開放感」はカウンセリングにおける重要な前提条件。家族や友人相手にカウンセリングが難しいのは後者がないため)。
実際他の人のブログを見ていると、その赤裸々な告白に「こんなことまでばらしちゃっていいの~?」と驚かされる。そしてそれによって、葛藤が解消され抑圧が昇華され、心が安定し統合されていく様は、なるほど現代の「箱庭療法」と言えるのかもしれない。
すべてのブログ管理者たちに幸いあれ!

(参考)
箱庭療法とは、内のり57×72×7cmの青く塗ってある箱、砂、ミニチュア玩具を用意し、それを用いて治療者の自由な意欲でジオラマ作品を作らせることによって心理分析を進めていく心理療法。1929年にイギリスのM・ローエンフェルトによって子供の為の心理療法として考案されたものを、スイスのカルフがユングの分析心理学の考えを導入することによって、大人にも効果のある治療法として発展させた。

幸福論2 ~幸せの本質
さて、『幸せを感じるのはどんな時?』のアンケート結果を見ると、概ね共感できるものの、そうそう!と大きくうなずけるものもあれば、それはそれ程感じないなぁというものもある。「幸せとは何か?」と考えた時、結局「何を幸せと感じるかは人それぞれ」だという結論になってしまいそうだ。
この結論はある意味で正しい。
人によって何に幸せを感じるかは異なるのだから「幸せは人の数だけある」のだろう。

しかしながらある意味でそれは間違いだ。
なぜなら、人によって幸せが違うのではなく、その時その場所における環境や精神状態の違いによって、何に幸せを感じるかが異なってくるのである。
例えば、おいしいケーキを食べて「ああ、幸せ・・・」とニンマリする人も、毎日三食ケーキを食べ続けさせられるとしたら、それは地獄ではないか?
さらに言うならば、それは幸せの「手段」であって幸せ「そのもの」ではない。

では、これら全てに共通する幸せの「本質」とは何だろうか。

ほとんどの場合「生きていてよかった!」と思えるときに幸せを感じるものと思われる。
試しにそれぞれのアンケート結果の第一位を見てみよう。
1.日々、健康な状態で過ごせていること→(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
2.家族全員で過ごす時間→(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
3.毎日が元気で笑って過ごせるとき→(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
4.エステ・温泉・海外旅行など、日常生活から自由になれたとき→(生きていてよかった! )→「幸せだなぁ」
5.大好きな人と一緒に過ごすとき →(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
他の項目も見てみて欲しい。例外はないと思われる。

つまり「幸せ」=「生きていてよかった!」である。
もっと正確に言うならば、良いも悪いも超越した「ああ、私は生きている!」という確信、すなわち「幸せ」=「存在のリアルな実感」である。

ところで、存在を実感する為には当然のことながらそれが存在していなければならない。存在していなければそれを実感することはできない。
そしてそこから驚くべき事実が導かれる。
それは、実感を感じようが感じまいが、私たちは生きているということ。存在しているということ。

探していた青い鳥はすぐそばにいた・・・幸せは実はすぐそばにあった・・・とんでもない!
私がいるということ、あなたがいるということ、それが幸せの本質なのだ!
すぐそばどころの話ではない。「私たち自身」が「幸せそのもの」なのだ!
だから決して幸せは逃げることはない。もしも見えなくなったとしても、無くなってしまった訳ではない。いつでもそこに在るのである。いつでも私たちに気づいてもらえることを待っているのである。

幸せ処方箋:彼氏・彼女をGETする方法

歌舞伎俳優の中村獅童さん(32)が10日、東京都中央区の歌舞伎座で緊急会見し、交際中の女優の竹内結子さん(25)が妊娠3カ月で、来月にも結婚するとの意向を明らかにした。(毎日新聞 2005年5月10日 19時12分)


いやはや最近は「できちゃった婚」がほんと多いね。私の周りにもたくさんいる。私は考えが古いのか、絶対それだけは避けたいと思って避妊にはかなり気を使ったものだが。

まあ何はともあれ、幸せであれば何も文句はありません。
『幸せを感じるのはどんな時?』のアンケートでも第一位に「大好きな人と一緒に過ごすとき 」と挙げられていたりするわけだからね。
で、せっかくなので、彼らから「彼氏・彼女をGETする方法」を学んで一人でも多くの人に幸せになってもらおうということなのだが、その秘訣はここにある。

2人は昨年9月、映画「いま、会いにゆきます」の夫婦役で共演、撮影終了後から交際を始め、中村さんがプロポーズしたという。


演技で恋人役・夫婦役をして、本当に恋人になっちゃったという話は芸能界ではごまんとある。
これは、脳には「自己正当化」機能というものがある為で、「私は彼の恋人である」という脳の認識を正当化しようとして、全ての出来事の原因を「恋人だからそうなんだ。そうしなければいけないんだ」という理由に自動的・無意識的に結び付けてしまうのである。

この機能を逆手に取れば、あなたが付き合いたい相手に対してあたかも恋人のように振舞えば、相手の脳は勝手に錯覚してくれるというわけだ。
「ああ、私たちは恋人なんだから手を握るのは当たり前だわ。恋人なんだから好きにならなくっちゃ」
これは特にファーストデートにおいて最強の裏技になるぞ!!
私もこれで何人落としたかしれない。さあ、早速試してみて欲しい。
幸運を祈る。

リトル・ダンサー(2000年)
男がバレエをするなんてみっともない・・・ストライキで失業中のパパは猛反対。でもビリーはボクシングよりもフットボールよりもバレエに心奪われてしまったのだ。

私はどうも家族モノに弱いようで、この映画も見事に私をホロリとさせてくれた。
最後に息子の晴舞台を見守る親父の顔、本当にいい顔してたなぁ。あの表情がこの映画の全てです!
裏切者とののしられながらも、息子の為に己の立場やプライドをかなぐり捨てた、親父の哀しくも力強いその背中。あんた、男だよ。それこそ男の生き様だよ。そして、そんな背中を見て子供は成長し羽ばたいてゆくんだね。
私もそんな背中を持つ父親でありたい。

バレエなんて女のするもの、そんな偏見や中傷にも負けず、己の道を突き進む少年ビリー。
人生とは己の100%の表現だ。ある者は料理によって、ある者は歌によって、ある者は文章によって、ある者は仕事によって、ある者は子育てによって、ある者は踊りによって、ある者は女装によって(笑)
何かを求めてとか、誰かの為にとか、そうした作為なく、ただ己が己であること、あるがままの私の自然の発露、手段が単なる手段でなく人生そのものに、私そのものになったとき、人は神の領域(ゾーン)に入る。
「踊っている時はどんな気持ちですか?」
「別に・・・いい気分です。最初は体が固いけど踊りだすと何もかも忘れてすべてが消えます。何もかも。自分が変わって体の中に炎が・・・宙を飛んでいるような気分になる。鳥のように、電気のように・・・そう、電気のように」

ふと、バレエ漫画『昴(スバル)』と重なった。
ただ「生きる」ということの「純粋さ」がそこにある。

幸せ処方箋:正しい供養の仕方
尼崎のJR福知山線脱線事故。
早いもので、あの悲しい事故が起きてから、ちょうど今日が二七日にあたります。
御遺族の方におかれましては、本当にお悔やみ申し上げます。
そして故人の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

テレビなどを観ていても、「どうして私の子だけがこんな目に」「なんにも悪いことをしていないのに」などと御遺族の悲痛の叫びが心に痛い。
死とはなんと理不尽なものなのであろうか。
そしてその悲しみは、時が経って薄れさせてはくれようが、決して一生消えることはない。残された者は、その悲しみを背負って生きていくこと、彼らのいのちを引き継いで生きていくこと、そして彼らが無事に光の世界へと入ってゆくのを見届けるまで元気に生きていくこと、それが使命でもあり、いや、むしろ義務と言ってしまってもよいかもしれない。

悲しみは人として当然のことである。
ただ意外に思うかもしれないが、あまりのショックに泣き崩れ「どうして私を残していってしまったの!」と遺体にすがりついたり、「人殺し!私の大事な人を返して」とJR西日本の社長を恨んだり、「人でなし!」と当日ボウリングに行った社員を弾劾したりと、激しく取り乱す人ほど、故人との絆が薄かった人であったりする。
大概そうした人の心の根底には「後悔」や「罪悪感」「自責の念」がある。
「あのときどうして○○してあげなかったんだろう・・・」
そんな自分の気持ちをまずは認めてあげること、それが前へ進む第一歩となる。

そして、これが一番大事なことだが、「故人の為にもっと何かをしてあげたかった」と思うのであれば、「故人の為に出来ることがこれからもたくさんあるのだ」ということを知って頂きたいと思う。
人は、自分のことを想ってくれる人、自分の人生を分かってくれる、理解しようとしてくれる、そんな人がいるのだということを心から実感したときに一番安心できるのだ。そして心が安心すれば心が柔らかくなる。心が柔らかくなれば物事を受け入れることが出来るようになる。そう、己の死という最も受け入れ難いものを受け入れる為には「安心」が必要なのである。
そしてそれが出来るのは、故人の最も身近な人間である「あなた」だけなのです!

「あの時あなたが言ってくれたこと、本当に嬉しかったんだよ」「あなたがいてくれたお蔭で、どんなに助かっていたことか」「あなたのお蔭で今の私があるんだよ」
そんな思い出を、感謝の気持ちを、暖かい心を、故人にどうかたくさん伝えてあげて欲しいと思います。

上戸彩の胸に輝くその言葉は
「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL」

作者不詳(御存知の方がいたら教えて下さい)



昨日、9時からのテレビ朝日系ドラマ『アタックNo.1』第四話を観ていた(おっさんのくせにこんなドラマを観てしまってほんとすいません・・・アニメ『アタックNo.1』世代?ということで何卒お許し下さい)。主人公鮎原こずえ役である上戸彩が「私のスローガンを発表しま~す」と言ってジャンバーを脱ぐ。その下には「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」の文字が。
「おお!」

実はこれ、もともとラグビーで生まれた合言葉、ラグビー精神を表す格言で、一般的には「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と訳されて、今では多くの企業や団体のポリシーやスローガンとして採用されており、何気に国民健康保険の理念だったりもします。
ところが、この言葉を「すべては私の存在の為に、私はすべての存在の為に」と意訳してみる。すると、なんと私の「至高体験」の実感を表すのにピッタリではないか!ということで、私の人生訓・座右の銘ともなっとるわけです。
もし「悟りを一言で言うと?」などと質問されたら、少なくとも私はこの言葉を挙げたいと思う。

そういえばモーニング娘。や松浦亜弥などが集まったH.P.オールスターズなるスペシャルユニットも『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!』なんて歌を歌っていたそうな。
う~ん、「悟り」は意外と身近にあるもんです。

幸せを感じるのはどんな時?
どうすれば幸せになれるかを探そうとすると、まず「幸せ」とは何か?という問いにぶつかる。
幸せとは何かを知るために、取り敢えず「人はどんなときに幸せを感じるか」を考えてみようと思う。

例えば、好きな人と一緒にいる時や欲しい物が手に入った時。幸せとは目に見えるもの?
例えば、おいしいものを食べている時。幸せとは舌で味わうもの?
例えば、心地よい音楽や芳しい香の中で優しくマッサージされながらゆったりとくつろいでいる時。幸せとは耳に聞こえるもの、鼻で匂うもの、身体で感じるもの?
例えば、困難な仕事を達成できた時や尊敬する人に認められた時。幸せとは心で想うもの?

あとは夢や目標に向かっているとき、好きなことやりたいことをやっているときなんかも幸せを感じるかな。
若い頃は、寝ているときが一番幸せって思っていた気もする。でも寝ているときは感じることは出来ないから、これはウトウトまどろんでいるときってことだろうね。
うちの嫁さんは、子供がお腹の中にいるとき幸せを実感していたみたい。

『アサヒビール』によるアンケート調査
第1位「日々、健康な状態で過ごせていること」

『愛媛銀行』によるアンケート調査
第1位 「家族全員で過ごす時間」

『財団法人健康・体力づくり事業財団』によるアンケート調査
第1位「毎日が元気で笑って過ごせるとき」
第2位「食事をおいしく食べられたとき」
第3位「心から笑えたとき」
第4位「朝、すっきり目が覚めたとき」
第5位「運動で汗を流したとき」

『株式会社アドバンスクリエイト』(保険業)によるアンケート調査(http://www.hokende.com/index.html)
第一弾「女の幸せって何?」
第1位 エステ・温泉・海外旅行など、日常生活から自由になれたとき
第2位 恋人(夫)と過ごしているとき
第3位 美味しいものを食べているときが、至福のひととき
第4位 子どもを産むこと、育てること
第5位 大好きな趣味に没頭しているとき
第6位 シアワセな、結婚をすること
第7位 仲のいい女友達と集まって、おしゃべりしているとき
第8位 ショッピング・エステなど、女を磨いているとき
第9位 その他(下記)
第10位 バリバリ働いて充実している、今が幸せ
第11位 合コンで出会ったイケメンと、デートの約束をしたとき
その他
・自分らしく生きていると実感できるとき
・自分の夢(仕事)に向かって努力している時
・自分の好きなものに打ち込んでいる時間
・心から笑えて、心から自分が好きだと思えてこそ輝いていられる
・女を越えて、一人の人間として充実すること
・ひとのお役に立てたと思える瞬間。経過した時間の多くが報われる
・「あの頃は良かったな。戻りたいな。」と思っていない時。即ち常時、シアワセを感じる
・バリバリ働いてはいないけど、自由に自分を実現できる今の環境がしあわせ
・子供に、産んでくれてありがとうと言われたとき
・生きていること。癌になってからですが・・・
・大切な人たちと一緒に居るとき
・他人と分かり合えたとき
・家族が皆健康でいる普段の生活をしている。ふと、こういうことが幸せなんだな~と思います
・家族の笑顔が溢れる休日を過ごしているとき
・家族が健康に過ごしていること
・夕食後にくつろぐ子供の後ろ姿を見ながら旦那とお茶をするとき
・みーんな元気で穏やかな朝を迎えられこと
・日向ぼっこしている朝
・瞑想しているとき。悟ること
・事情があってペットを実家に預けているので、ペットと一緒に過ごせたとき
・毎晩、フカフカの布団に入った瞬間!!
・何もしないでいい時間
・お天気がいい日、空を眺めながらのんびりする時

第二弾「どんな瞬間、シアワセを感じますか?」
第1位 大好きな人と一緒に過ごすとき
第2位 子ども(家族)が幸せでいてくれること
第3位 誰かに必要とされていると感じたとき
第4位 心から笑えて、自分が好きだと思えるとき
第5位 健康で過ごせること。生きていること
第6位 夢に向かって努力(活動)しているとき。その努力が認められたとき
第7位 のんびり、ひとりの時間を過ごすこと
第8位 他人とわかりあえたとき
その他
・パパと子供が暖かい日が射す窓辺で遊んでいる姿を、台所から見た時
・心が安定しているとき
・大好きな唄や曲につつまれている時
・毎日の食事がおいしいと感じられるとき
・大好きな人と楽しく会話しながらおいしいものを食べているとき
・出産し、母乳をあげたとき
・おいしいものを食べている時
・生きがいだと思えるものに関わっているときそれによって色んな感情を味わえる時
・大好きなぶりのお刺身を食べているとき
・ごはんを食べてるとき
・美味しいものを食べたとき
・家族みんなが朗らかに笑っていられること
・私は妊娠7ヶ月の未熟児で生まれ、45年間たった今でも五体満足でいられる現状に幸せを感じます
・ふとんに入って眠る瞬間
・次の日が休みの晩に布団に入った瞬間
・お風呂につかっている時
・犬と過ごしている時♪
・お気に入りのテレビや映画、歌手が世間から高く評価されたとき

幽体離脱に挑戦3
どうやら入眠時に幽体離脱を強く意識して寝ると、夜中眠りが浅くなったときに、一度目が覚めるようだ。

平成17年5月4日(水)AM3:00頃

またチャンスが来た!と思って二度寝の直前に、いつものように意識を残しておこうとしていると、身体全体が「ジワジワ~」っと痺れたような感覚になり、突然その感覚が「ドンッ!」と額の辺りに集中するように移動した。
「うぉ!」。一瞬目の前が真っ白になって、意識が「サァーッ」と明るくクリアーになった。

この時ほど強烈な移動感覚は無いものの、この感覚は瞑想において私が「止」と呼んでいる、外界の物音や痛みが気にならなくなる状態と全く同じであった。瞑想の場合はここから、深層意識より夢のような形でイメージが浮かんでくるのをただただ観察することになるのだが、なるほど私の仮説通り、やはり瞑想と幽体離脱のメカニズムは同じであるように思われた。
そんなことを考えているうちに、完全に目が覚めてしまった。

ある離脱体験者によれば、微細な振動(今回のやつか?)から大きな震動(これはおそらく前回のやつだろう)と経過し、その後金縛り状態から幽体を離脱させるのだという。
これまでの経験(といってもまだ一週間も経ってないが)から、これらは順を追って起こるのではなく、身体が眠りに入る瞬間に残した「意識の量」によって違いが出るのではないかと思う。
そして、なるべく「糸のように細く」意識を残した方が良いように思われる。
最近は張り切り過ぎて、意識を残しすぎているようだ。だから目が覚めた後目が冴えてしまってしばらく眠ることが出来なくなる。毎晩寝不足で、正直言って仕事に差し障る。なかなかキツイものがありますが、これからも頑張ってみます。

ちなみに振動中は身体から熱を発しているようで、寝汗がむちゃくちゃ凄い!

幽体離脱に挑戦2
初めての幽体離脱未遂は私が26歳くらいの頃だったと思う。
結構衝撃的な体験だったので、どこかに記録を取ったはずなのだが、残念ながら見つからないので、記憶を辿って書いてみる。

ところで私はまったくと言っていいほど霊感はない。
今まで幽霊を見たことも一度もない。
学生時代、与論島に行ったときに泊まった民宿に、霊感のある友人がどうしても入りたくないという部屋があって、そこに入ったときに「ねっとりとまとわりつくような重~い空気」がなんとなく感じられた程度である。
そんな私だが、神秘的なことに対する興味は人一倍強く、20代の頃は魔術や錬金術、催眠術などの本を読み漁った。その中の一冊に『体外離脱を試みる』(ロバート・ピーターソン:著)というのがあって、一時期そこに載っていたエクササイズを試していたわけだが、そんな頃にそれは起こった。

ある日、入眠時にエクササイズをしていたのだが、そのまま眠ってしまった。夜中の3時頃だったと思うが(これは体験後に確認)、一度目が覚めてしまい、でもまたすぐに眠れそうなウトウト状態のときに、ふと体外離脱エクササイズを思い出し、細い糸のような意識だけを残すようなイメージで睡眠に入った。

その瞬間!「ブルルン ブルルン ブルルン」と三回大きく身体が震動したのだ!

「うわぁー、うわぁーーー!」私は驚愕して大声で叫んだ。
でも隣で寝ていた、いつもなら小さな物音でも起きてしまうような私の彼女(現在の嫁)はぐっすりスヤスヤ寝ていたので、実際には声が出ていなかったのだろう。
それでも何か感じ取ったのか、あるいは偶然なのか分からないが、彼女の腕が飛んできて私の身体に当たり、それで目が覚めたのである。

こうして書いてみると、ほんと昨日の状況とよく似ているなぁ。
ただ昨日の震動は「ブルルン」ではなく「ブーン」という感じのより微細な震動だったし、それが長く続いたというのが異なる点。
不思議なのは、当時そんな劇的な体験があったにも関わらず、その日以来エクササイズをやめてしまったことだ。もう少し続けていれば離脱できたかもしれないのに、なぜか急に興味が失せてしまった。当時の私ではそれを知るにはまだ時期尚早だったということなのだろうか。
だとすれば、今ようやくその時期が来た、ということなのかもしれない。


幽体離脱に挑戦1
最近仲間うちで幽体離脱の話題になり、体験者の話を聞いてみると、どうも悟りの意識へ至る初段階の意識のようにも思われる。
ならば私も体験しないわけにはいかないぞ、と思い一昨日あたりから毎日寝入りばなに挑戦してみることにした。

平成17年5月1日(日)AM4:30頃

こんな早朝になぜか目が覚めてしまい、またすぐにそのまま二度寝に入る。このとき幽体離脱のことを思い出し、意識を残しておこうと眉間の辺りに集中する。

すると身体が「ブーン」という音とともに震動し始めた!

この感覚は今日で二度目なので、今回は焦ることなく冷静に意識を集め、身体が船の上で揺れるようなイメージをしながら「光の世界に行きたい。守護霊様引っ張って下さい」などと念じてみた。
今回は震動が比較的長く続いた。
意識が明瞭になり、身体の寝息がまるで他人のように聞こえる。「ああ、もうすぐかなぁ?」

ただ、その時の姿勢が、ひざがベッドから浮き上がり、身体がやや右に傾き、顔は左を向いているというかなり不安定な状態。さらに薄目が開いており、身体から遠くに離れるまでは目は開けない方がいいなんて誰かから聞いていたから、目を閉じようとするのだが、なぜか意志に従ってくれない。
そうした諸々の身体の感覚が気になってしまい、なかなか抜け出てくれないでいるうちに、嫁の腕が飛んできて、完全に目覚めてしまった。残念。
そういえば、前回も嫁に起こされたんだったっけなぁ。
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