人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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タロットの起源
タロットの起源にはいくつかの学説・風説がある。
大方の説は以下の二つに集約・分類できるだろう。

・古代エジプト起源説
クール・ド・ジェブラン(歴史・言語学者)『原初世界』
「TAROT」は古代エジプトで「王の道」を意味しており、「女教皇」はイシス、「戦車」はオシリスを表している。古代エジプト滅亡の折、その英知・秘術を敵の手に渡さずに後世に残すため、真理の隠された寓意画としてジプシーに渡したとされる。
18世紀の西欧はキリスト教の権威が揺らいでいた時代であった。理性を中心とする普遍文明がキリスト教以前から存在しており、その源泉は古代エジプトであるという考えが知識人の心を捉えていたという。

・15世紀北イタリア起源説
マイケル・ダメット(分析哲学者)『タロットのゲーム』
以前からあったアジア起源のトランプのようなカードゲームに複雑さを増すため、大アルカナが切り札として加えられ、ルネサンス貴族のゲームやギャンブルに使われた。カードの絵柄は「正義」「節制」など、キリスト教の影響下でよく知られたモチーフであったという。
現在ではこちらの説が有力となっているようだ。

私個人としては、心理学者ユングの影響を受けながら、タロットの中に「自己実現の奥義」を見出していることもあり、やはり神秘的秘教的なエジプト起源説の方が好みではある。
だが、起源がいずれにあるとしても、タロットを自己発見に役立つツールとして活用することができるという事実に変わりはないだろう。
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黄金の果実
「黄金の果実」という名称は、私の好きなマンゴーをイメージして付けたのだが、一般的にはシークヮーサーやサジー(沙棘)、あるいは、かりんのことを指すらしい。
少し意外なのは、イタリア語でトマトを意味するポモドーロも「黄金の果実」という意味なのだそうだ。

もちろんここでいう「黄金の果実」とは、こうした実在する果物のことではない。
西洋の錬金術や中国の神仙道(練丹術)において「黄金」とは、最後に残る人間の本質的かつ最も神的な部分の象徴だ。
ハリーポッターで一躍有名になった「賢者の石」。それは卑金属を金に変える究極の物質であり、またそれは永遠の生命をも可能にする「生命の秘薬(エリクシール)(丹砂)」でもあるという。
それを飲むことによって、卑金属が黄金に変わるが如く、人間の意識が変容して「不死(悟り)」を得ることができるのである。

かぐや姫は輝く金の竹から生まれ、月に帰る際に不死の薬を帝に残していった。
ところで金の竹から生まれたのではなく、かぐや姫が竹を金に変えたのだとすると、かぐや姫は賢者の石を所有する「秘儀を究めた者」だったのかもしれない。

不死の霊薬はインドにもある。「アムリタ(甘露)」といわれ、本来はインド神話などに見られるように神々の飲み物を意味しており、これを飲むと不老不死になるという。

バレエが好きな人なら「黄金の果実」というと、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』を思い出すかもしれない。この不死鳥の食べ物こそが魔法の木に実る「黄金の果実」だ。

「黄金の果実」は、ロシアの民話『処女王(眠り姫)』にも魔法の庭にある目を癒す果実として登場する。目を癒すというのは、目を開く(開眼)、あるいは目を覚ます(覚醒)と関係が深そうだ。

不死、開眼、覚醒・・・黄金の果実を手に入れることによって一体私たちに何が起こるのだろうか。
それは自分自身で確かめるほかないのである。

タロットとの出会い
私は小さい頃から今に至るまで神秘的なものに惹かれてきた。
海、自然の絶景、遺跡、神話、神仏像、宇宙、心、哲学、神秘学、錬金術、催眠術、占い、悟り、量子論…。

そして、タロットもまたどうしようもなく私を魅了した。いや、タロットから全ては始まったのかもしれない。その図像の美しさ、豊富さ、不思議さ、物語性、寓意性。素人なりに占ってみた際の心を見透かされたかのような奇妙な整合感覚。解釈に想像を膨らます遊戯性と興奮。

私が初めて手にしたタロットカードは、ムーンプリンセス妃弥子さんのオリジナルカードだった。最初のカードデッキには「マルセーユ版」か「ライダー版」を、というのが一般的ではあるが、当時はタロットに関して全く知識がなかったので、単にカードの絵柄の好き嫌いだけで選んだものだ。今では占いに使うことはほとんどないが、絵柄の好みで選んだだけに今でもお気に入りのデッキの一つ。ざっと見渡してみてもオシャレ度・センスでいったらかなり上位にランクすると思う。

その後、知識欲に駆られてタロットに関する書物を探して少~しずつ勉強してきた。しかし、書店に売っている本のほとんどが通俗的な占いの方法についてのものばかりで、専門書は都心の大型書店に行かなければなく(今ではネットで買えるが)、更にはとにもかくにも値段が高い!のが貧乏人の私には辛いやねぇ。


海の中にある世界
地球の70%は海だという。
だとすれば海の中の世界を知らないで人生を終えたならば井の中の蛙であろう。そんな興味と好奇心があった。
ビーチリゾートに旅行した際にダイビングが出来たならば二倍楽しめるという打算もあった。
また純粋に海が好きだったからでもあるし、流行性とお洒落なイメージで異性にモテたいという不純な動機もあったかもしれない。
いずれにしても、大学生の頃からスキューバーダイビングを始めた。

初めて海に潜ったのは伊豆大島だったが、このときはなんだかいっぱいいっぱいで余裕がなく、次にハワイで潜ったときに初めて海の世界が胸に迫ってきた。
水族館とは逆の世界。鏡の中の世界。魚を見るのではなく魚から見られる世界。そこでは私たち人間が異質だった。
海の中から水面を見上げる。明るく輝くゆらめきの向こうに人間の世界がほのかに透けて見える。
大亀に乗って浦島太郎の童話の世界に入った。
沈没船の中に入って過去にタイムスリップした。

その後いくつかの海を潜った。
真っ白い砂地に色とりどりの珊瑚が咲き乱れる中で悠々と踊る美しい熱帯魚たちの姿は、なるほど竜宮城もかくやである。
回遊魚の渦に巻き込まれる光景に圧倒される。
洞穴から差し込む神々しい光が幻想の世界を醸し出す。

とりわけ印象的だったのがグァムの海だった。
そこには何も無かった。
魚も珊瑚も奇岩もない。底も見えない。
ただただ青かった。360°青だった。
そして私も青の中に溶けていった。

サイドウェイ(2004年)
結婚前の思い出作りにと、ワイナリー巡りの旅をするジャックと親友マイルズ。
そんな人生の寄り道の中で、ジャックは迷っていた結婚を決意するきっかけを、マイルズは離婚以来ふさぎこんでいた心を切り替え新たな恋に向けて前へ進むきっかけを見つけてゆくのだった。


人生は夢が全て叶うほど甘くない。そんな現実を受け入れる為には、ちょっと立ち止まってみること(人生の寄り道)も必要だ。そんなテーマの映画なのだそうだが、私としては、人生あれこれ迷いながら、時には間違った方向へと進んでしまったり後戻りしたりと寄り道を繰り返しているが、決して無駄なことは一つもなく、全てが今現在の私へとつながる一本の道なのだ…そんな印象を受けた。

感嘆すべきは泣かず飛ばずの俳優ジャックの生き方。旅中ナンパした女に結婚式直前であることがバレて鼻を折られるほど殴られても、めげずにすぐさま人妻をナンパして亭主に見つかり裸のまま逃げ出すはめに。そんな無様な出来事の連続であるが、彼の表情は終始明るい。こうした陽気さというのは、一つの幸せの形であるように思えた。

また、ジャックと正反対にマイナス思考で陰気なマイルズではあるが、劇中二度ほど見られた「為すべきこと」を見つけたときの彼の表情に注目したい。ここにも幸せの一つの形がある。

幸福論1
幸せになりたい人は最も幸せから遠い人、というのはどういうことだろうか。

人は自分の欠けているものを求める。パソコンを買ったばかりの人がパソコンを欲しがることはない。
つまり幸せになりたい人=幸せが欠けている人=不幸な人ということだ。
逆に、幸せな人は幸せになりたいなどと思うことはない。
ということは、幸せになりたいならば、幸せになりたいと思ってはいけないということになる。
逆説的だが、不幸だと思った時点で幸せになることは絶対にできないのだ。
無意識の「不幸探し」こそが私たちの幸せを阻んでいたというわけだ。

だったら、自分は不幸だと思わなければいい。
たとえ不運な出来事があったとしても、その中に何か肯定的な面を見つけ出せればいい。
こういう場合、「プラス思考」が役に立つ。訓練が必要だが、身に付けておいて損はない技術だ。

青い鳥
生まれてきたからには幸せでありたい。誰しもそう願うものですが、現実はそう甘くない。
花粉症は辛いし、仕事はつまらないし、それでいて忙しいし、上司はうるさいし、部下はへたれ。友人には愚痴を聞かされ、恋人とは喧嘩ばかり。家庭では会話もなく、子どもは言うこと聞かないし、お金はローンに消えてゆく。せめてもの気休めにと旅行にでも行こうものなら、渋滞にはまってイライラはつのるばかり。
一体自分は何の為に生きているんだろう?何の為にこんなに頑張っちゃってんだろう?
幸せになりたい、幸せになりたい、幸せになりたい…。

ところが幸せになりたい人ほど幸せから遠いところにいるもんだ。
一体「幸せ」ってなんじゃらほい?

その一つの答えとして、メーテルリンクは名作『青い鳥』を書いた。
幸せの青い鳥を探して様々な世界を巡るが、結局捕まえられずに家に戻ると、実は飼っていた鳥が青い鳥だったことに気づく。青い鳥は探すまでもなくこんなに近くにいたのだ!
しかし最後に鳥は逃げてしまう。
「青い鳥 を探して下さい。僕たちの幸せにはあの鳥が必要なのです。」

さて、ぼちぼち私たちも幸せの青い鳥を探しにゆくとしましょうか。




般若心経よりわかりやすい
ラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者・倫理学者)

変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え


この言葉と初めて出会ったのは確か『セブンイヤーズインチベット』という映画の中でのダライラマ少年の台詞だったような気がする(思い違いかも…)。
だからこれがキリスト教徒の祈りの言葉だと知ってとっても驚いた。
まさに宗教の枠を超える言葉だね。

基本理念
釈尊
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ。安穏であれ。
 自ら喜べるものであれ。」

<慈経>(カラニーヤ・メッタ・スッタ)


この言葉を見つけて一気に釈尊のファンになりましたねぇ。
仏教がともすればニヒリズムに陥りやすい中にあって、この言葉はまさに光明です。
ここから始まってここへ戻ってこれたら、それこそが悟りの大いなる輝きです。
どんな祈りの言葉もこれに勝るものはないんじゃないかなぁ?
毎日口ずさんでます♪
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