人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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自分という名の鳥かご

アインシュタイン
「人間の真の価値は、おもに自己からの解放の度合いによって決まる」

『アインシュタイン150の言葉』


「相対性理論」でそれまでの時空の常識(固定観念)を打ち破った20世紀の天才科学者(彼自身は「私は天才ではない。ただ人より長く問題とつき合っているだけだ」などと言っていますが)。
彼の言葉を見ていると、「科学と宗教は対立する」などという一般常識なんぞ恥ずかしくて口に出来なくなってくる。
一つのことに真に打ち込んだ者には自ずと宗教的な眼が開かれてくるのだろう。

「自己からの解放」というのは、分かりやすく言えば「自己中心性からの脱却」だ。
日常的な観点においても「自己中」な人は嫌われるわけであるから、これは誰しも納得できるかと思う。
だが、実際は「自己実現の妙」で触れた言葉たちと同じことを言っている大変宗教的な言葉なのです。
つまり「自己中」というのは、あの人は自己中であの人は自己中でないというような性格の問題ではなくて、人間であれば誰しも抱えている本能だということ。
だから「自分はさほど自己中ではないかなぁ?」なんて思っている人は、おそらく日常では比較的いい人なのかもしれないが、宗教的には重症である。
浄土真宗の親鸞は説いた。自分の自己中に気づいて深く悩む者(=悪人)こそが救われるのだと(悪人正機)。
「私はこのような人間である」「善人であるためには~すべきだ」などと、自己という名の鳥かごに閉じ込められていることに早く気づいて、広大自由な大空へとはばたけ! 
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自己実現の妙

アラン(フランスの思想家)
「人は自分から抜けだすほど、一層自分となる。また一層よく自分の生きていることを感ずる。薪を穴倉の中でくさらせてしまってはならぬ」

『幸福論』


一時期「本当の自分探し」というフレーズが大流行したが、あの頃本当の自分に出会えた人間は一体どのくらいいたのだろうか?
自分とは何者であるか?本当は何がしたいのか?と探せば探すほど、今の私は本当の私じゃない!?などと、私たちは自分から遠く離れていく。
何をしようと「私は私」であるというのに・・・。
自分の全存在(いのち)をかけて一所懸命に生き抜くとき、それを「私らしくない」「あなたらしくない」などと否定できるものがどこにいようか。

道元禅師曰く「心身脱落 脱落心身」・・・私を無くした状態(何かを為すべき「私が有る」のではなく、ただ「私で在る」こと)こそが本当の私であると。

またハイデガーはこう語る。
私たちは否応なしにこの世界へと投げ出された無意味な存在(被投性)であるが、だからこそそこで主体性を持って、自分で自分を世界の中へ投げ入れる(投企)ことによって、存在と自由の真の意味が得られるのであると。 

上戸彩の胸に輝くその言葉は
「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL」

作者不詳(御存知の方がいたら教えて下さい)



昨日、9時からのテレビ朝日系ドラマ『アタックNo.1』第四話を観ていた(おっさんのくせにこんなドラマを観てしまってほんとすいません・・・アニメ『アタックNo.1』世代?ということで何卒お許し下さい)。主人公鮎原こずえ役である上戸彩が「私のスローガンを発表しま~す」と言ってジャンバーを脱ぐ。その下には「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」の文字が。
「おお!」

実はこれ、もともとラグビーで生まれた合言葉、ラグビー精神を表す格言で、一般的には「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と訳されて、今では多くの企業や団体のポリシーやスローガンとして採用されており、何気に国民健康保険の理念だったりもします。
ところが、この言葉を「すべては私の存在の為に、私はすべての存在の為に」と意訳してみる。すると、なんと私の「至高体験」の実感を表すのにピッタリではないか!ということで、私の人生訓・座右の銘ともなっとるわけです。
もし「悟りを一言で言うと?」などと質問されたら、少なくとも私はこの言葉を挙げたいと思う。

そういえばモーニング娘。や松浦亜弥などが集まったH.P.オールスターズなるスペシャルユニットも『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!』なんて歌を歌っていたそうな。
う~ん、「悟り」は意外と身近にあるもんです。

全部あたしが悪いのよ
イエス・キリスト
「なんじらのうち、罪なき者まず石をなげうて」

『ヨハネによる福音書』


仏教経典と比べてとにかく分かり易いのが聖書の良いところだ。中でもこの箇所はその筆頭であり、なおかつ誰の心にも響くものがあるのではないだろうか。
私たちはとかく人の行動を非難しがちであるが、「人は己の鏡」「人のふり見て我がふり直せ」などと言われるように、人は自分の中の認めたくない部分を他人に転嫁してしまう無意識の防衛機制(投影)が働く。こうした心の動きをよく観察できたならば、随分と人に優しくなれることだろう。
そんな私も昨日妻と喧嘩して「その態度がいつも険悪な雰囲気を作り出していることが分からないのか?」などと石を投げつけてしまいました・・・懺悔。

人生ナビゲーション
孔子
「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。」

『論語』爲政篇


15歳で学問を志し、30歳で信念が固まり動揺しなくなり、40歳で物事の道理が明らかになり、50歳ですべてを受け入れることができ・・・。
この言葉は、私の人生においての指針というか、ひとつの尺度にさせてもらってる。
学を志したのは孔子より随分遅かったかなぁ。でもなんとか30歳までに進むべき道を見つけられたし、40歳までに為すべきことは何かが分かった。
ふむふむ今までの人生波乱万丈だったようで、振り返ってみると案外順風満帆じゃん、なーんて自己満足に浸ってみる。

般若心経よりわかりやすい
ラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者・倫理学者)

変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え


この言葉と初めて出会ったのは確か『セブンイヤーズインチベット』という映画の中でのダライラマ少年の台詞だったような気がする(思い違いかも…)。
だからこれがキリスト教徒の祈りの言葉だと知ってとっても驚いた。
まさに宗教の枠を超える言葉だね。

基本理念
釈尊
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ。安穏であれ。
 自ら喜べるものであれ。」

<慈経>(カラニーヤ・メッタ・スッタ)


この言葉を見つけて一気に釈尊のファンになりましたねぇ。
仏教がともすればニヒリズムに陥りやすい中にあって、この言葉はまさに光明です。
ここから始まってここへ戻ってこれたら、それこそが悟りの大いなる輝きです。
どんな祈りの言葉もこれに勝るものはないんじゃないかなぁ?
毎日口ずさんでます♪
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