人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐(2005年)
遠い昔、遥か彼方の銀河系で・・・で始まるスターウォーズ全六部作の完結編。銀河にあまねく平和をもたらす唯一の人間、“選ばれし者”と予言されたアナキン・スカイウォーカーが、銀河皇帝の右腕、恐怖の権化のごときダース・ベイダーに成り果てたのは、なぜか?

「あなたのためならたとえ火の中水の中。全世界を敵にまわしたとしても僕はあなたを愛してる!」
ちょっとクサイと思いながらも、内心一度は言われてみたい甘美な愛の代表的な台詞。
けれども本当にその通りになってしまったとしたら?
「愛」は諸刃の剣。
パドメへの愛のためにフォース(=愛)の暗黒面に落ちていくアナキンの姿は、まさに愛の二面性の象徴である。
数日前まで愛し合っていたはずの元恋人が一転ストーカーに変身したり、さらには「かわいさ余って憎さ百倍」殺人にまで発展してしまう・・・決して他人事ではない話だ。
愛とは一体何だろう?

2500年も昔に、愛とは愛執、すなわち自己中心性の源である執着であり、苦しみ悩みを生み出す唯一の原因であると看破され、愛から離れよと説いた賢人がいた。
一方2000年前には、愛こそ全て、汝愛せよと説いた聖人がいた。
どちらかが正しくどちらかが間違っているのだろうか?
いや、そうではない。
私たちは本当の愛を知らないのである。

「あなたのことを想って言っているのよ」というアナキン的な愛は、お節介なだけだ。小さな親切大きなお世話ってやつだ。はっきり言って迷惑だ。
それはパドメの結末がそうであったように、人を追いつめ生きる力を失わせてしまう偽りの愛だ。愛執だ。
本当の愛とは生きる力だ。
誰もが心の奥底で叫んでいる。「ワタシヲミテ」「ワタシハココニイルヨ」と叫んでいる。
その想いを受け止めてあげること・・・それが愛するということ。
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電車男(2005年)
電車内で絡む酔っ払いから女性を助けた、ひとりのアキバ系ヲタ青年。彼女いない歴=年齢の彼は、助けたお礼を送ってくれた彼女をデートに誘うべく、モテない独身男達が集うネットの掲示板に助けを求める。「電車男」は果たして彼女に告白できるのか? 

原作(まとめサイト)を既に読んでいて内容を知っていた為、ほとんど期待していなかったのだが(読んだ時には不覚にも泣いてしまったのだけれども)、映画も人生も期待しないでいる方が大概感動を味わえるようだ。
思い返せば、人から「最高!」「泣ける!」と聞かされて観た映画(「タイタニック」「ショーシャンクの空に」「ライフ・イズ・ビューティフル」など)はどれも泣けなかった。単なる天邪鬼?

「努力、友情、勝利」という、まるで少年ジャンプのような単純明快なストーリー。
だが、人生とはえてしてそんなものである。振り返ってみれば単純明快。
「そうか、そういうことだったのか!」で解決なのです。
それを複雑にしているのは自分自身。妄想膨らむ頭の中。結果を気にして試行錯誤。
だけど結局人生を変えることの出来るのは、いつだって最初の第一歩を踏み出す小さな「勇気」だけなんだね。
そして、その勇気を与えてくれるのは・・・

「忘れるな、お前には俺たちがついている!」 

グッバイ、レーニン!(2003年)
母が心臓発作で昏睡状態に陥っている間に、ベルリンの壁は崩壊した。息子アレックスは、愛国主義者の母に二度とショックを与えないよう、崩壊以前の東ドイツを強引に演出するのだが。

「親孝行したいときには親はなし」などとはよく言ったものだ。
「泣ける話」などを見るにつけ「ああ、親孝行しとかなきゃなぁ」と思うのだが、分かっちゃいても気恥ずかしいというか、親孝行というものはなかなか難しい。
「母親のために」と想うゆえに、嘘のニュース番組を作ってまでドイツ統合の事実をなんとか隠そうとするアレックスの行動には、少々行き過ぎた感もあるが、親孝行の出来ない私にとってはなんとも羨ましく思えてくる。

ところで、どこの国の宗教でも道徳でも、口を揃えて「嘘をついてはいけない」と言われるが、一体どこまでの嘘なら許されるのか。
「相手を傷つけないための嘘」というものは本当に存在するのだろうか?
アレックスの嘘を見ていて、ナチスにより強制収容所へと連行されてしまった父が幼い息子に悲惨な現実を悟らせぬよう「これはゲームなんだよ」と笑顔で悲しい嘘をつく『ライフ・イズ・ビューティフル(1997年)』を思い出した。
もちろん、浮気を隠すための嘘を「相手を傷つけないための嘘」とすり替えてしまうのは論外である。

こうした問いは「ガン告知の是非」などの論議にまで発展しそうであるが、私としてはどんな嘘だろうが嘘は嘘であって、やはり「嘘をついてはいけない」と思う。
いくら「相手のため」と思い込んでいたとしても、ほとんどの嘘はつまるところ「自分のため」であるものだからだ。
アレックスの嘘もまた、最初は純粋に母親のためのものであったはずが、最後には己の理想の投影となっていたことに自分でも気づいていた。
ただ、そうではあっても彼の生き様が全て嘘であったことにはなるまい。そんな彼の嘘をほほえましく見守る母親の、息子の横顔に注がれる温かいまなざしが美しい。

ラブ・アクチュアリー(2003年)
舞台は冬のロンドン。秘書に恋した英国首相、入社以来2年7カ月片思いしている女、妻に先立たれた男、11歳の男の子の恋心、ミステリー作家の異国の愛などなど、19人の男女の物語がクリスマスに向けてそれぞれのハッピーエンドを目指す!

子供だろうが貧乏だろうが首相だろうがみーんな恋愛したいのだ。
「世界は愛に溢れている」がこの映画のテーマなのだそうだが、愛というよりは恋の物語。
正直恋愛映画は趣味でないのだが、嫁さんが借りてきたのでお付き合い。

恋が実った人たちに共通することは「攻め」の姿勢だろうか。やっぱり待ってるだけでは白馬の王子はやってこない。
言葉の壁を乗り越える為に語学教室に通ったり、ボーカルの少女に近づく為に苦手な楽器を練習したり。
「気持ち」は目に見えないものだから、言葉や行動や物というような目に見える「形」にしてあげることが大事だというわけだ。
「私の為にここまでしてくれるなんて」と思わせたら勝ちである。
とはいえ大概その形によって浮気もバレるわけだが・・・。

今まで頭が上がらなかったアメリカ合衆国大統領に対して、恋愛がらみの嫉妬から一転強気な宣戦布告をしてしまい、でもそのお蔭で一躍国民の英雄になった英国首相。
「英雄」というのは大抵弱き者にとっての代弁者なんだね。
ただ、敵をつくることによって初めて英雄が生まれるわけだから、英雄は幸せになるのは難しいかもしれない。ナポレオンしかり。
それにしても首相!恋愛にハマリ過ぎです。ちゃんと国政して下さい。

生き方として素敵だなぁと思ったのは、芸能界復帰を目指すロートル俳優ビリー・マック。
成功して女性もよりどりみどりという場面で、クリスマスの夜を過ごす相手に、長年苦楽を共にしてきた冴えないデブ男のマネージャーを選んだ彼は「粋」でした。

全体的にハッピーエンドな中で、一人だけかわいそうな女性がいる。長い間の片想いがせっかく両思いになれたのに、障害のある弟の世話の為にその恋を捨てざるを得なかった彼女。
でもそんな自分の選択を心から受け入れ信じることが出来た時、きっと彼女が一番幸せになれると思う。
苦悩を乗り越えてこそ、本当の意味で人生の意味を理解し、己が、そして全てが肯定されるのだから。

リトル・ダンサー(2000年)
男がバレエをするなんてみっともない・・・ストライキで失業中のパパは猛反対。でもビリーはボクシングよりもフットボールよりもバレエに心奪われてしまったのだ。

私はどうも家族モノに弱いようで、この映画も見事に私をホロリとさせてくれた。
最後に息子の晴舞台を見守る親父の顔、本当にいい顔してたなぁ。あの表情がこの映画の全てです!
裏切者とののしられながらも、息子の為に己の立場やプライドをかなぐり捨てた、親父の哀しくも力強いその背中。あんた、男だよ。それこそ男の生き様だよ。そして、そんな背中を見て子供は成長し羽ばたいてゆくんだね。
私もそんな背中を持つ父親でありたい。

バレエなんて女のするもの、そんな偏見や中傷にも負けず、己の道を突き進む少年ビリー。
人生とは己の100%の表現だ。ある者は料理によって、ある者は歌によって、ある者は文章によって、ある者は仕事によって、ある者は子育てによって、ある者は踊りによって、ある者は女装によって(笑)
何かを求めてとか、誰かの為にとか、そうした作為なく、ただ己が己であること、あるがままの私の自然の発露、手段が単なる手段でなく人生そのものに、私そのものになったとき、人は神の領域(ゾーン)に入る。
「踊っている時はどんな気持ちですか?」
「別に・・・いい気分です。最初は体が固いけど踊りだすと何もかも忘れてすべてが消えます。何もかも。自分が変わって体の中に炎が・・・宙を飛んでいるような気分になる。鳥のように、電気のように・・・そう、電気のように」

ふと、バレエ漫画『昴(スバル)』と重なった。
ただ「生きる」ということの「純粋さ」がそこにある。

ショーシャンクの空に(1994年)
理不尽と暴力の渦巻くショーシャンク刑務所での人間模様。無実の罪で30年余も投獄された元大銀行副頭取のアンディは、それでも最後まで希望を失うことはなく・・・だが「必死に生きるか、必死に死ぬかだ」と言い残してある日忽然と姿を消した。

心に音楽を。音楽は希望の象徴だ。アンディはこの希望を胸に、古い慣習を壊し変えていく。そして忍耐と努力は周りの皆の心の壁をも打ち砕いていった。
無実の罪で投獄、これほどの試練はそうはあるまい。だが誰にも大なり小なり困難は付き物だ。生きるということはそういうことだ。いかに困難を乗り越えてゆくか、そこが肝心なのだ。
しかしそんなアンディに、親友となった調達屋レッドは言う。夢や希望を持っては刑務所では生きていけない。希望は危険だと。現実を見つめろと。
それは確かにそうかもしれない。希望があれば絶望も生まれるのだから。
だが、アンディの抱いていた希望とはそうした儚いものではなかった。「必死に生きるか、必死に死ぬか」。これは選択肢ではない。それはまさに現実をとことん見つめるということなのだ。そこには生きるも死ぬもない。そのとき生きるも死ぬも超越して「私はここにありき」。それこそが本当の希望なのだと思う。
そして彼は生きた。レッドも最後にはそこに気づくことができた。

一方、50年間を刑務所で過ごした図書係の老人は、仮釈放されて自由を手にした途端、自殺してしまった。
刑務所の壁。その壁を最初は憎むがやがて慣れ最後にはそれがないと不安になるという。壁の内側にいる限りは安心なのだと。
老人は壁のない不安に耐えられなかったのだ。
刑務所の壁は心の壁と同じだと思った。自分を守るために築いた心の壁は、だが他者を排除し自己を孤立させる諸刃の剣。その中での安心は変化を嫌う。それはやはり偽りの安心だ。生きるということは変化し続けるということなのだから。
壁に穴を掘る作業には不安や恐怖が付き纏うだろう。だがそれに耐え忍んでやり通した者にだけ祝福は訪れる。広大な空を見上げることができる。

「更生なんてない」。調達屋レッドのこの言葉も印象的だ。
悪かった人間が反省して良い人間に変わるわけではない。過去の罪や後悔は一生消えることなく、背負い続けていく十字架なのだ。良いことも悪いこともすべてひっくるめて「私」なのだ。私の「人生」なのだ。

素晴らしき哉、人生!(1946年)
父親の死後、自分の夢を犠牲にしてちっぽけな家業を継ぎ、他人のために尽くす小さな町の不運なジョージは、ある日大金を失い自殺を図る。人生に絶望するジョージの前に天使が現われて、自分の存在しない世界を体験することになる。

「一人の命は大勢の人生に影響してるんだ」
私がいる、ただそれだけのことでこんなにも世界が変わるのか。
物理学のカオス理論に、バタフライ効果という例え話がある。
「北京で今日蝶が羽を動かして空気をそよがせたとすると、来月ニューヨークでの嵐の生じ方に変化がおこる」

メリークリスマス!メリークリスマス!
彼が生きていることの意味を見つけた時、すべてが輝いて見えたことだろう。敵さえも愛しく見えたことだろう。
彼は結果として天使に、そして街の人々に救われた形ではあるが、それは彼が人並み以上に立派な人だったからなのだろうか?善因楽果、悪因苦果。確かにそれも言えるだろう。
しかし本当のところは彼が運命を呪うのではなく、運命を愛したからなのだと思う。
それは何も特別難しいことではない。ただひたむきに人生を生きること、生きることに徹すること。
そう、プールに落ちてなお踊り続けたあの日のように。
ああ、私はいまここにいる!

そして拍手を送りたいのは、玉の輿のチャンスも捨てて、そんな彼を愛し続けるメアリーだ。絶望するジョージに八つ当たりされても一言も文句を言わないのに驚いた。それどころか何も言わず彼の為に街中を走り回る彼女の姿を、是非昨今の女性たち(特に私の妻!)には見習ってもらいたいものだ(あんたもねと言われそうだけど)。
新婚旅行にも行けず、古い廃墟のような空き屋敷を改装しての貧乏な生活。そんな彼女の一番の願い事は愛する人と共にいることだった。ただそれだけだった。それだけだったから彼女は幸せだったのだと思う。何も期待しないこと、それが一番の幸せであることを彼女は無意識に知っていたのだろうか。

サイドウェイ(2004年)
結婚前の思い出作りにと、ワイナリー巡りの旅をするジャックと親友マイルズ。
そんな人生の寄り道の中で、ジャックは迷っていた結婚を決意するきっかけを、マイルズは離婚以来ふさぎこんでいた心を切り替え新たな恋に向けて前へ進むきっかけを見つけてゆくのだった。


人生は夢が全て叶うほど甘くない。そんな現実を受け入れる為には、ちょっと立ち止まってみること(人生の寄り道)も必要だ。そんなテーマの映画なのだそうだが、私としては、人生あれこれ迷いながら、時には間違った方向へと進んでしまったり後戻りしたりと寄り道を繰り返しているが、決して無駄なことは一つもなく、全てが今現在の私へとつながる一本の道なのだ…そんな印象を受けた。

感嘆すべきは泣かず飛ばずの俳優ジャックの生き方。旅中ナンパした女に結婚式直前であることがバレて鼻を折られるほど殴られても、めげずにすぐさま人妻をナンパして亭主に見つかり裸のまま逃げ出すはめに。そんな無様な出来事の連続であるが、彼の表情は終始明るい。こうした陽気さというのは、一つの幸せの形であるように思えた。

また、ジャックと正反対にマイナス思考で陰気なマイルズではあるが、劇中二度ほど見られた「為すべきこと」を見つけたときの彼の表情に注目したい。ここにも幸せの一つの形がある。
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