人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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リラクゼーションと癒し
「ストレス解消法2」では、主に「身体の弛緩」=「リラクゼーション」に目を向けてみたが、一転「心の弛緩」へと目を向ければ、それは「癒し」と呼ばれる。

目に見えないこの「心の弛緩」とは一体どんなものなのかを考えてみるにあたって、まず私たちはどんな時に「癒されたぁ~」と感じるのかを見てみよう。
2002年12月に実施した富山大学の大学生を対象に行ったアンケート調査によれば、「安心感・安らぎを感じたとき」とする人が70%、「心の疲れがとれたと感じるとき」とする人が55%という結果であったそうだ。
心の疲れといっても、「心」というのは概念であって物質ではないから、実際に「心」が疲れるわけではない。
緊張感・気が張っている状態(=不安)が解決されて安心感・安らぎを感じている状態になったことを「心の疲れがとれた」と表現しているわけであるから、両者は同じことを言っていると考えられる。

私たちの心に不安があるときには、筋肉と同じように心もギューっと縮こまって硬くなっている。
ダンゴムシや亀やアルマジロを見れば分かるように「自分を守ろう守ろう」としているわけだ。
そうすると自分を守ることが出来る代わりに(いやむしろ突破され、結果ズタボロになることの方が多いわけだが・・・)周りが見えなくなってしまう。そして物事や人の意見を受け入れることが出来ない。ちょっとしたことにイライラしたり、必要もないのに怒鳴ったりして威嚇する。まるで心はハリセンボンのようにトゲトゲになっている。
「気分転換法3」の方法を使うとそんな「心」がよく観察できるはずだ。

ところで、癒し系女優といえば「井川遥」であろうか。癒し系キャラクターといえば「たれぱんだ」などが思いつく。どちらも鋭い知性やちゃきちゃきした活動的な感じではなく、ほんわかのんびりした天然系のゆる~い感じ。
また、小動物やちっちゃい子を見ていると癒されるという人は多いはずだ。
逆に大型肉食獣に癒される人はほとんどいないだろう。なぜなら彼らを目の前にして癒されていたら、それは即死を意味するのだから。

つまり、私たちが癒される対象は、どれも自分より弱い存在。自分が脅かされない存在。
だから自分を守る必要がない。不安になる必要がない。

癒し=心の弛緩=不安の解消=自分を守る必要が無くなること

そうして不安が解消され、安心しているときには、私たちの心はスポンジのように柔らかくなっていて、その時には物事や人の意見を受け入れる、スーっと吸収することができる。
自分を守る必要がなければ人と争う必要もなくなるのだ。
そして逆説的だが守ろう守ろうとしない心は傷つかない。
ピンと張った紙はよく切れるが、宙に舞っているティッシュペーパーを切ることが出来ないように。

心の平安=柔軟心=開かれた心=100%受け入れること

すると、自然と感謝の気持ちが湧いてくる。慈しみの心が芽生えてくる。何も考えずとも人の為に動ける自分がそこにいる。人生の意味がひしひしと感じられてくる。

あ~、わたしはいまここにいる!

なるほど「癒し」とは「幸せ」の道である。(このあたりの論理の飛躍は「幸福論2~幸せの本質」をご参照下さい)
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ストレス解消法2
さて、究極のストレス解消法とは何だろうか?
ストレスとは刺激に対する緊張であるから、最も心身が弛緩している時が最もストレスのない状態であるといえる。
心と身体はつながっているから、どちらかを弛緩させればもう一方も自動的に弛緩する。
心は目に見えないから、ストレス解消「法」として意識的・積極的に働きかけるのならば、心を弛緩させる方法よりも身体を弛緩させる方法を考える方が分かり易いだろう。
そして、最も身体が弛緩する時・・・それは私たちが寝ている時である!

「あなたのストレス解消法は何ですか?」と聞かれて「う~ん、寝ることかな?」と答える人は結構多いと思う。みんな無意識のうちに答えを知っているんですね。
睡眠においては、入眠後1時間30分ほどの「ノンレム睡眠(脳の休息)」の後、数分から10分程度の「レム睡眠(身体の休息)」があり、一晩に4~6回このサイクルが繰り返される。
レム睡眠とは、Rapid Eye Movements(急速眼球運動)の頭文字を取ったものであるが、このレム睡眠中は、骨格筋(抗重力筋、姿勢筋)の緊張が解け、「全身弛緩状態」(でもアソコだけはなぜか硬くなっていらっしゃるらしい(笑))となり身体を動かさない。
全身弛緩状態でいられるのは、緊急情報以外の外部からの刺激が一切シャットアウトされるためである。
だからレム睡眠時は、揺さぶりおこしても目が覚めにくく、安静覚醒時の脳波であるα波に近い脳波が出される。
ちなみにどんなに揺さぶっても起きない人を何とか起こしたいと思うならば、耳元で「火事だぁー、逃げろー!」と叫んでみよう。すぐに飛び起きるはずだ。人間の身体は何ともうまく出来ているものだ。

睡眠以外で外部からの刺激を断つ方法としては、「アイソレーション(隔離)タンク」というものがある。
これは、1954年、アメリカの神経生理学者ジョン・C.リリィによって発明されたもので、五感の感覚を遮断して身体性を消去させる。

光も音も消失したカプセルの中で体温に調節された水溶液にゆったりと浮かぶこと・・・それは日常がとりまく様々なノイズからココロとカラダを完全に解き放つことを意味していました。リリィがそこで自ら体験したのは、それまでの科学的常識では決して捉えられない、自己の深淵に広がる未知の感覚世界であり、身体への絶大なリラクゼーションだったのです。


日本では以前は神戸にもあったようだが、現在は東京のECCOリラクゼーション・サロンでのみ体験可能のよう。
ストレス過大は不眠症を伴う場合があるので、眠れない人は一度試してみるのも手かも!?

ストレス解消法
「気分転換法」と「ストレス解消法」とは混同されやすいが別モノである。

「ストレス」=刺激(ストレッサー)に対する適応反応(心身の緊張)。
一般的には「過労、重圧(プレッシャー)、悪い人間関係、不安などに対する否定的反応による精神的疲労」という意味で使われる。
完璧主義(ミスが許せない)、理想主義(must思考)、責任感(自分がやらなくちゃ)の強い人に溜まりやすい。
ストレスを溜めない為には2つの方法が考えられる。
1.ストレッサーをなくす
2.否定的反応をする思考法を変える

1.は現実問題としてなかなか難しいので、私たちに出来ることは主に2.に取り組むことだ。この2.に相当するのが本当の意味での「気分転換法」であるといえる。「プラス思考(ポジティブシンキング)」などもこれに当たるだろう。
一方、「既に溜まってしまった」ストレスを解消させること、すなわち「心身の緊張をほぐして疲労を癒すこと」が「ストレス解消法」である。

そして、三省堂提供「大辞林 第二版」によれば、「リラックス」=「精神や肉体の緊張をほぐすこと」とある。ということは、「ストレス解消法」=「リラックス法」ということだろうか?
確かにストレス解消法の代表格は、温泉、マッサージなどリラックスを目的としたものと言える。

そこで、世間一般の「気分転換法(ストレス解消法)」を振り返ってみると・・・(「気分転換法2」より抜粋)
1.体を動かす系(スポーツ、ストレッチ、など)
2.体を休める系(お風呂に入る、寝る、など)
3.心を動かす系(大声を出す、泣く、など)
4.心を休める系(音楽を聞く、自然を眺める、など)

このうち2.と4.は明らかに「リラックス法」であるから間違いなく「ストレス解消法」である。
でも一見「リラックス法」ではない1.と3.によっても確かにストレスが解消されることは経験の語るところだ。
なぜだろう?
これは、実はストレスというものは、何か特定の出来事によってだけ引き起こされるものではなくて、何もなくても常に溜まり続けているものだからである。
例えば正座をすると足が痺れる。さらにずっと続けていると足が痛くなってくる。だから私たちは正座が苦手だ。正座ではリラックス出来ない。あぐらの方が楽であり、リラックスできる・・・と思っている。
ところがリラックス出来るはずのあぐらをずっと続けてみたことはあるだろうか?
どんなにリラックスした座り方であっても、同じ姿勢を続けることは苦痛なのである。じっとしていても常に刺激は受けており、短時間では気づかない小さな刺激も長時間受け続けるとさすがに気づくというわけだ。
つまりじっとしていることもまた、心身を緊張させるというわけ。
「緊張をほぐす」のが「リラックス法」なのだから、心身を「動かす」のもまた「リラックス法」だということだ。

さて残る問題は、究極のストレス解消法は何か?ということ。
以上の考察によれば、究極のストレス解消法とは完全に心身を弛緩させてしまえばよいということになるわけだが・・・

気分転換法3
まとめると、完全に気分を転換するためには、次の二つのステップを繰り返すことによって、不快な気分の原因となる「深刻だと思い込んでいた問題」を解消していくのだということ。

ステップ1:別のことに意識を向けて、一時的に気分を変える
ステップ2:新たな気分で、嫌な気分やストレスを生み出している「対象」と向き合う

こうしたステップは、日常の小さなイライラだけでなく、いわゆるトラウマと呼ばれるようなもの(主に幼少期における心的外傷)の治療に対しても有効である。
もっともトラウマに触れると思わぬ感情の高ぶりや混乱に遭遇する場合があるので、トラウマと向き合うためには、もう少し細心の注意が必要ではあるが。

さて、この「ステップ2」において「対象」と向き合うための具体的な方法もまた、「ステップ1」ほどではないにしろいくつか開発されているわけだが、牛丼でも何でも「早い安いうまい」方がいいわけで、個人的により簡単でより効果的だと思われる方法を一つ紹介しておこう。

「それに色があるとしたら何色ですか?」
「どんな形ですか?」
「硬いですか?柔らかいですか?」
「大きさはどれくらいありますか?」
「動いてますか?どんな風に?」
「もしそれから音が出るとしたら、どんな音ですか?」

大抵感情というものはモヤモヤしていて捉えどころがない。何だかよく分からないが「なんとなく」イライラする。この「なんとなく」が何とも言えず気持ち悪い。掴みどころがないからどうすることもできないのだ。ウナギを素手で捕まえようとするようなものである。
そうしたやっかいな心の中のモヤモヤを具体化・現象化することによって捕まえやすくして、取って食ってやろうというのがこの技法のミソである。
このような観点を持つ心理療法に「フォーカシング」がある。
これはそのフォーカシングの「早い安いうまい版」といえるだろうか?
応用編としては、実際にそのイメージを取って食ってやったり、あるいは粉々に爆破させてやったり、大きく息を吹きかけて見えないくらい遠くに転がしたり、風船のように内側から破裂させたりしてみるのも面白い(この「大きく息を吹きかける」というのは深呼吸の効果もあるのでおススメだ)。

さて、「今は」その問題に対する不快度は十段階で何点くらいになりましたか?

(参考)
フォーカシングとは、ジェンドリンによって体系化された心理療法。言葉にならず、漠然としてるがゆえに理解してあげられない自分の気持ち(フェルト・センス)を静かに心で実感し、次にそのフェルト・センスにぴったりな言葉(ハンドル)を見つけ出す。そのような繰り返しの中で心を解放していく。

気分転換法2
これだけストレスの多い社会を生きている私たちだ。おそらく誰もが自分だけの気分転換法というものをそれなりに持っていると思う。
どうだろう?
まとめてみると大体以下のような具合に分類できるのではないだろうか。

1.体を動かす系(スポーツ、ストレッチ、など)
2.体を休める系(お風呂に入る、寝る、など)
3.心を動かす系(大声を出す、泣く、など)
4.心を休める系(音楽を聞く、自然を眺める、など)

これらの組み合わせや派生によって、人それぞれ、あるいはその時その場の状況に応じて、無数の気分転換法が存在する。
例えば「散歩」などは、1ともいえるし2ともいえるし4ともいえる複合的な気分転換法だ。
「旅行」などもまた同様である。

いずれにしても「気分転換」において重要だと思われていることは、「別のことに意識を向ける」ということである。
そしてそのために最も手っ取り早いのは、「現在(今まで)と違うことをする」ことだ。

結局世間において「気分転換法」と名付けられたものは全て、単純にそういうことである。その方法自体に効果があるというよりは、現在の嫌な気分やストレスを生み出している対象から離れるための方便に過ぎない。
だから何であれ、現在(今まで)と違うことをすればいい。
部屋の模様替えであろうが、髪型を変えてみることだろうが、要は何でもよいのである。
だからつまるところ「気分転換法1」のステップ1のように「いま何時だろう?」というだけでもよいということなのだが、世間の「気分転換法」では、この「ステップ1」に当てはまる事柄に対して「何が一番効果があるか」と一生懸命考えているというわけだ。ごくろうさま。
そして悲しいかな「万人に効く究極の気分転換法は無いようです・・・どうぞ自分に合った方法を見つけて下さい」という結論に至る。

ちょっと待って!
「ステップ2」を見逃してしまっているではないか。
実は、本当に重要なのはこちら「ステップ2」の方である。
だって、嫌な気分やストレスを生み出している「対象」から「逃げる」だけでは、問題が解決するはずがないじゃない?
勇気を出して対象と向き合う・・・そこに真の癒しがあるのです。

気分転換法
それにしても生きていれば、嫌なこと・不快なこと・むかつくことの何と多いことか!
嫁さんと喧嘩したから言うわけじゃないが、こんな気分の時には何をしても楽しくない。お笑い番組を観てもちっとも笑えない。せっかく感動できることがあったから分かち合って幸せな気分に浸ろうと思っていたのに、全て台無しである。
言い過ぎた、自分も悪い・・・そう思うこともあるが、こちらから謝るのは癪に障る。そんな葛藤を相手に知って欲しいと思うのか、ドアを「バタンッ!」と閉めてみたり。そんな風にしてお互い意地を張って無言のまま翌日まで持ち越してしまうと、もう最悪である。

こんな時すぐに気持ちを切り替えられれば、どんなにか素晴らしいだろう。
そこで今日は気分転換法について考えてみたい。

実は感情というものをよく観察してみれば、嫌な気分がずっと続いているわけではない。「他のことを考えている時は嫌な気分は起こっていない」のだ。ただ、嫌な気分の印象があまりにも強いためにそのことに気づかないでいるうちに、また嫌な出来事を思い出してしまい、嫌な感情が続いているような「錯覚」におちいってしまうというわけ。本当は「嫌な出来事を思い出したから嫌な感情が出た」だけであって、その嫌な感情は常に単発の感情であり、最初に感じたあの嫌な感情とは「全くの別物」なのである。

この事実を理解するために、たとえばこんな質問を自分にしてみるといい。
ステップ1:「いま何時だろう?」

時計に意識が向いた瞬間、嫌な感情はいったん断ち切られた。
次に無意識に嫌な出来事を思い出してしまう前に、冷静に嫌な感情を評価してみよう。
ステップ2:「一体この出来事の不快度は十段階で何点くらいだろう?」

そんなことを考えているうちに、きっとまた嫌な感情がふつふつと沸き上がってきたことだろう。またステップ1に戻って断ち切ってみる。今度はこんな質問にしてみようか。
ステップ1(別バージョン):「今日は何色のパンツをはいていたっけ?」(エロ親父?)

そして改めてステップ2をしてみると・・・
どうだっただろうか?感情とは不思議なものである。
さあ、冷静になったらこちらから謝っちゃいましょー。これで解決♪

幸せ処方箋:ブスは美人よりお得!?
ブスと美人はどっちがモテるか?といえば、これは明らかに美人でしょう。
ブスと美人はどっちがお得か?といえば、これも美人に軍配が上がりそう。美人な女性が、男性からちやほやされたりおごってもらったり貢いでもらったりというのはよく聞く話。ディスコやクラブに無料で入れたりするのもよく目撃した光景だ。またデートに誘われていろいろな場所に行けたり、セックスの機会も多いだろうからいわゆる女の快感も多く味わえる。それが女性ホルモンを促してさらに綺麗になってゆく。やはり美人がお得と言えそうだ。

ところが、ブスと美人はどっちがより幸せになれるか?となると話が違ってくるかもしれない。
「幸せを感じるのはどんなとき?」のアンケート結果を眺めてみても、「大好きな人と一緒に過ごすとき」はあるが「モテているとき」というのはないようだ。つまり幸せであるためには大勢の恋人は必要ない。一人の恋人がいれば事足りるのである。
でも、モテる方が素敵な恋人を見つけやすいのでは?と思うかもしれない。しかし女性に積極的にアプローチする男というのは(私も含めて)軽薄な遊び人タイプが圧倒的だろうと思う。だから美人のところには遊び人が先に手を出してくるから、彼らが壁となり、真面目で純真ないわゆる「いい人」は近づけないのである。
この傾向は特に学生時代には顕著に見られる。そういえば私の片想いの女の子もヤンキーと付き合っていたなぁ(この頃の私はまだ奥手であった)。
こういった理由から、ブスの方が、自分のことだけを見てくれる「いい人」と付き合える可能性が高いといえるのだ!
(ちなみにヤンキーや遊び人と付き合ったら幸せになれないと言っているわけではない。少なくとも遊び人の私と結婚した嫁さんはいまのところ幸せそうではある。いやきっと幸せに違いない。そう信じたい(笑))

問題は、「私はどうせブスだから恋人も出来ないし幸せになれないのよ」という間違った思考にある。
電車にでも乗って世間をよくよく眺めてみれば、ブスでもデブでもほとんどの人が結婚しているではないか。
学生時代は私よりモテていたイケメン二人も、一般的基準からすれば「ブス」と「デブ」とそれぞれ結婚した。仲間内では「なんで~?」と皆で驚いたものである。
「好み」というのは不思議なもので、それにしても世の中うまく出来ているもんだと感嘆せずにはいられない。あるいは強力な「種の保存の法則」のお蔭であろうか。ダーウィンに感謝である。
また男女逆ではあるが、私の友人に身長160センチの「チビ男くん」と体重100キロ超の「デブ男くん」がいる。一般的認識ではモテないくんの部類である。ところが現実とは摩訶不思議なり。
彼らのモテる秘訣は「明るさとユーモア」だと思われる。そしてそれを支えているのが「俺がモテないはずがない」という根拠のない自信だ。自尊心だ。
自分のことを好きだと思えるかどうか。ココがポイントである。

では、どうすれば自分のことを好きになれるのか?
単純ではあるが、毎朝「私は自分が大好きだぁ~!!」と叫ぶのも効果がある。これはくだらないように見えるが「アファメーション(肯定的な断言)」と呼ばれるれっきとした心理学の技法だ。
こうした一見馬鹿げたことを繰り返していると、自然と自分の良いところはおろか他人の良いところまで見えてくるようになるから不思議である。
自尊心を高める方法は他にもいろいろあるが、幸せになるための方法をいくつ知っているかよりも、一つしか知らなくてもその方法を「実践したかどうか」こそが幸せの秘訣。
早速今日から、世界の中心で愛を叫ぼう!!

小さな幸せ:気が利く店員さん
メガネのパッド(鼻あて)のネジがいつの間にやらゆるんでいて、右側のパッドをどっかに落としちゃったらしい。気づかないまま半日くらいを過ごしていた私も私であるが、嫁さんに指摘され、早速近くのメガネ屋さんに行った。
小さな店だが先客さんが2人いて、2人しかいない店員さんが対応に追われていたので、後ろの方でヌボ~として立っていると、アシスタントっぽい女性がイスを持ってきてくれた。ありがたい。
腰掛けて少し待っていると、紅茶を出してくれた。それも紙コップとかでなく、きちんとしたオシャレなティーカップでだ。
「まぁ~随分とサービスがいい店だねぇ」と思っていると、一人お客さんが帰ったので、パッドの交換をお願いした。300円でした。
お茶代を考えると「なんか得した気分」になって、気持ちよく店を出て自転車に乗ろうとしていると、アシスタントの女性が出てきた。

「あのぉ、余計なことかと思いましたが、タイヤの空気が減っていたので入れさせて頂きました」

ええ~!びっくり!!メガネ屋さんでこんなことまでしてもらえるの?なんて気が利く店員さんなんでしょう。
あるいはもしかしたらそういうマニュアルがあったのかもしれないが、いずれにしてもとても清々しい気分になって「また何かあったら来よう」という気持ちになったよ。

昨今では「顧客満足度」という指標を前面に押し出している企業が増えている。商品の良し悪しや価格の安さはもちろんだが、やはり最後の決め手は「人の心」である。その他大勢の一人でなく、世界にただ一人の「私」のことを大事にしてくれる、そんな心の触れあいが「また来たい」と思わせる。
例えば名前を覚えていてくれて呼びかけてもらったり、店に行くと必ずシェフ自ら挨拶に来てくれたり。私が何度も足を運ぶ店はそんな気の利かせ上手な店ばかりである。

こうした気の利かせ方は、どうやら女性の方が得意なようだ。私の勤務先でも異常に(笑)気の利く女性がいて、彼女の発案で突然の雨に対応できるように大量にビニール傘を用意しておいたりなどのいくつかのマニュアルが出来ている。
皆さんの身近にもきっとそんな女性がいるはず。そんな女性をもっと大事にして、彼女の行動やアイデアをマニュアル化しておけば、随分とお客様に喜んでもらえる顧客満足度の高い会社になると思います。
とはいえ、もちろんその場その時の臨機応変の対応がやはり一番なわけで、これは訓練しなければ身に付かない。いつも「どうしたら喜んでもらえるか」を心に留めながら試行錯誤していく中で、少しずつ身に付いていくものだ。
そして、こうして身に付けた力は、仕事だけでなく恋愛や近所付き合いにも生かされてくるようになる「一生の宝物」だ。
私も「気配り上手」を目指そうと思う・・・が道のりは遠い!?

ブログと箱庭療法
さてさて、お前のブログは重すぎるとのご指摘により、デザインも大幅リニューアル。どうでもいいことだが、今度のデザインは実は、私の家のリビングの色調になっとりますです。
ところで初期の頃からご覧頂いている方々には、なんだか見る度にブログパーツが加わったり無くなったり、タイトルやデザインが変わったりするなぁと苦々しく思われているに違いない。
その時は「これだぁ!」と思うのであるが、しばらく経つとなんだかどうもしっくりこなくなって、心がモヤモヤしてきて、その事をずうっと考えているとあるとき突然アイデアがひらめく。「これだぁ!」。
そんな繰り返し・・・。
ほんとリンクして下さっている方にはご迷惑をお掛けしておりますが、こうして「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤しながら自分の納得できる形を創りあげていく過程はなかなか楽しかったりする。

『幸福論』(春日武彦:著)によると、内向的なミニチュア指向によって自分の世界を縮小し、その箱庭の中に自分だけの小さなユートピアを作り出す「幸福もどき」なるものがあるという。

小さな世界は、すべてを把握し管理することが可能となる。不快なもの、おぞましいものを排除し、なおかつミニチュアの世界がこの世の中と対応し釣り合っているかのような錯覚を自分に与えることが出来る。そのことによって安心感が生まれる。


まさにブログの世界はそんな小さなユートピアになり得る。
そのミニチュアの世界においては神になれるのだ。好きなものを創造し、維持し、破壊する。また毒舌の悪魔にもなれるし、理想の人物や女になりすますことだって出来る(笑)
そんな安心感と万能感(匿名性の高さによる非日常性から生まれる開放感)の中で、人は現実の日常生活の中では口に出来ない心の内面を自然とさらけ出してゆくのだ。
(信頼と安全性の確保からくる「安心感」と非日常的空間における「開放感」はカウンセリングにおける重要な前提条件。家族や友人相手にカウンセリングが難しいのは後者がないため)。
実際他の人のブログを見ていると、その赤裸々な告白に「こんなことまでばらしちゃっていいの~?」と驚かされる。そしてそれによって、葛藤が解消され抑圧が昇華され、心が安定し統合されていく様は、なるほど現代の「箱庭療法」と言えるのかもしれない。
すべてのブログ管理者たちに幸いあれ!

(参考)
箱庭療法とは、内のり57×72×7cmの青く塗ってある箱、砂、ミニチュア玩具を用意し、それを用いて治療者の自由な意欲でジオラマ作品を作らせることによって心理分析を進めていく心理療法。1929年にイギリスのM・ローエンフェルトによって子供の為の心理療法として考案されたものを、スイスのカルフがユングの分析心理学の考えを導入することによって、大人にも効果のある治療法として発展させた。

幸福論2 ~幸せの本質
さて、『幸せを感じるのはどんな時?』のアンケート結果を見ると、概ね共感できるものの、そうそう!と大きくうなずけるものもあれば、それはそれ程感じないなぁというものもある。「幸せとは何か?」と考えた時、結局「何を幸せと感じるかは人それぞれ」だという結論になってしまいそうだ。
この結論はある意味で正しい。
人によって何に幸せを感じるかは異なるのだから「幸せは人の数だけある」のだろう。

しかしながらある意味でそれは間違いだ。
なぜなら、人によって幸せが違うのではなく、その時その場所における環境や精神状態の違いによって、何に幸せを感じるかが異なってくるのである。
例えば、おいしいケーキを食べて「ああ、幸せ・・・」とニンマリする人も、毎日三食ケーキを食べ続けさせられるとしたら、それは地獄ではないか?
さらに言うならば、それは幸せの「手段」であって幸せ「そのもの」ではない。

では、これら全てに共通する幸せの「本質」とは何だろうか。

ほとんどの場合「生きていてよかった!」と思えるときに幸せを感じるものと思われる。
試しにそれぞれのアンケート結果の第一位を見てみよう。
1.日々、健康な状態で過ごせていること→(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
2.家族全員で過ごす時間→(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
3.毎日が元気で笑って過ごせるとき→(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
4.エステ・温泉・海外旅行など、日常生活から自由になれたとき→(生きていてよかった! )→「幸せだなぁ」
5.大好きな人と一緒に過ごすとき →(生きていてよかった!)→「幸せだなぁ」
他の項目も見てみて欲しい。例外はないと思われる。

つまり「幸せ」=「生きていてよかった!」である。
もっと正確に言うならば、良いも悪いも超越した「ああ、私は生きている!」という確信、すなわち「幸せ」=「存在のリアルな実感」である。

ところで、存在を実感する為には当然のことながらそれが存在していなければならない。存在していなければそれを実感することはできない。
そしてそこから驚くべき事実が導かれる。
それは、実感を感じようが感じまいが、私たちは生きているということ。存在しているということ。

探していた青い鳥はすぐそばにいた・・・幸せは実はすぐそばにあった・・・とんでもない!
私がいるということ、あなたがいるということ、それが幸せの本質なのだ!
すぐそばどころの話ではない。「私たち自身」が「幸せそのもの」なのだ!
だから決して幸せは逃げることはない。もしも見えなくなったとしても、無くなってしまった訳ではない。いつでもそこに在るのである。いつでも私たちに気づいてもらえることを待っているのである。

幸せ処方箋:彼氏・彼女をGETする方法

歌舞伎俳優の中村獅童さん(32)が10日、東京都中央区の歌舞伎座で緊急会見し、交際中の女優の竹内結子さん(25)が妊娠3カ月で、来月にも結婚するとの意向を明らかにした。(毎日新聞 2005年5月10日 19時12分)


いやはや最近は「できちゃった婚」がほんと多いね。私の周りにもたくさんいる。私は考えが古いのか、絶対それだけは避けたいと思って避妊にはかなり気を使ったものだが。

まあ何はともあれ、幸せであれば何も文句はありません。
『幸せを感じるのはどんな時?』のアンケートでも第一位に「大好きな人と一緒に過ごすとき 」と挙げられていたりするわけだからね。
で、せっかくなので、彼らから「彼氏・彼女をGETする方法」を学んで一人でも多くの人に幸せになってもらおうということなのだが、その秘訣はここにある。

2人は昨年9月、映画「いま、会いにゆきます」の夫婦役で共演、撮影終了後から交際を始め、中村さんがプロポーズしたという。


演技で恋人役・夫婦役をして、本当に恋人になっちゃったという話は芸能界ではごまんとある。
これは、脳には「自己正当化」機能というものがある為で、「私は彼の恋人である」という脳の認識を正当化しようとして、全ての出来事の原因を「恋人だからそうなんだ。そうしなければいけないんだ」という理由に自動的・無意識的に結び付けてしまうのである。

この機能を逆手に取れば、あなたが付き合いたい相手に対してあたかも恋人のように振舞えば、相手の脳は勝手に錯覚してくれるというわけだ。
「ああ、私たちは恋人なんだから手を握るのは当たり前だわ。恋人なんだから好きにならなくっちゃ」
これは特にファーストデートにおいて最強の裏技になるぞ!!
私もこれで何人落としたかしれない。さあ、早速試してみて欲しい。
幸運を祈る。

幸せ処方箋:正しい供養の仕方
尼崎のJR福知山線脱線事故。
早いもので、あの悲しい事故が起きてから、ちょうど今日が二七日にあたります。
御遺族の方におかれましては、本当にお悔やみ申し上げます。
そして故人の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

テレビなどを観ていても、「どうして私の子だけがこんな目に」「なんにも悪いことをしていないのに」などと御遺族の悲痛の叫びが心に痛い。
死とはなんと理不尽なものなのであろうか。
そしてその悲しみは、時が経って薄れさせてはくれようが、決して一生消えることはない。残された者は、その悲しみを背負って生きていくこと、彼らのいのちを引き継いで生きていくこと、そして彼らが無事に光の世界へと入ってゆくのを見届けるまで元気に生きていくこと、それが使命でもあり、いや、むしろ義務と言ってしまってもよいかもしれない。

悲しみは人として当然のことである。
ただ意外に思うかもしれないが、あまりのショックに泣き崩れ「どうして私を残していってしまったの!」と遺体にすがりついたり、「人殺し!私の大事な人を返して」とJR西日本の社長を恨んだり、「人でなし!」と当日ボウリングに行った社員を弾劾したりと、激しく取り乱す人ほど、故人との絆が薄かった人であったりする。
大概そうした人の心の根底には「後悔」や「罪悪感」「自責の念」がある。
「あのときどうして○○してあげなかったんだろう・・・」
そんな自分の気持ちをまずは認めてあげること、それが前へ進む第一歩となる。

そして、これが一番大事なことだが、「故人の為にもっと何かをしてあげたかった」と思うのであれば、「故人の為に出来ることがこれからもたくさんあるのだ」ということを知って頂きたいと思う。
人は、自分のことを想ってくれる人、自分の人生を分かってくれる、理解しようとしてくれる、そんな人がいるのだということを心から実感したときに一番安心できるのだ。そして心が安心すれば心が柔らかくなる。心が柔らかくなれば物事を受け入れることが出来るようになる。そう、己の死という最も受け入れ難いものを受け入れる為には「安心」が必要なのである。
そしてそれが出来るのは、故人の最も身近な人間である「あなた」だけなのです!

「あの時あなたが言ってくれたこと、本当に嬉しかったんだよ」「あなたがいてくれたお蔭で、どんなに助かっていたことか」「あなたのお蔭で今の私があるんだよ」
そんな思い出を、感謝の気持ちを、暖かい心を、故人にどうかたくさん伝えてあげて欲しいと思います。

幸せを感じるのはどんな時?
どうすれば幸せになれるかを探そうとすると、まず「幸せ」とは何か?という問いにぶつかる。
幸せとは何かを知るために、取り敢えず「人はどんなときに幸せを感じるか」を考えてみようと思う。

例えば、好きな人と一緒にいる時や欲しい物が手に入った時。幸せとは目に見えるもの?
例えば、おいしいものを食べている時。幸せとは舌で味わうもの?
例えば、心地よい音楽や芳しい香の中で優しくマッサージされながらゆったりとくつろいでいる時。幸せとは耳に聞こえるもの、鼻で匂うもの、身体で感じるもの?
例えば、困難な仕事を達成できた時や尊敬する人に認められた時。幸せとは心で想うもの?

あとは夢や目標に向かっているとき、好きなことやりたいことをやっているときなんかも幸せを感じるかな。
若い頃は、寝ているときが一番幸せって思っていた気もする。でも寝ているときは感じることは出来ないから、これはウトウトまどろんでいるときってことだろうね。
うちの嫁さんは、子供がお腹の中にいるとき幸せを実感していたみたい。

『アサヒビール』によるアンケート調査
第1位「日々、健康な状態で過ごせていること」

『愛媛銀行』によるアンケート調査
第1位 「家族全員で過ごす時間」

『財団法人健康・体力づくり事業財団』によるアンケート調査
第1位「毎日が元気で笑って過ごせるとき」
第2位「食事をおいしく食べられたとき」
第3位「心から笑えたとき」
第4位「朝、すっきり目が覚めたとき」
第5位「運動で汗を流したとき」

『株式会社アドバンスクリエイト』(保険業)によるアンケート調査(http://www.hokende.com/index.html)
第一弾「女の幸せって何?」
第1位 エステ・温泉・海外旅行など、日常生活から自由になれたとき
第2位 恋人(夫)と過ごしているとき
第3位 美味しいものを食べているときが、至福のひととき
第4位 子どもを産むこと、育てること
第5位 大好きな趣味に没頭しているとき
第6位 シアワセな、結婚をすること
第7位 仲のいい女友達と集まって、おしゃべりしているとき
第8位 ショッピング・エステなど、女を磨いているとき
第9位 その他(下記)
第10位 バリバリ働いて充実している、今が幸せ
第11位 合コンで出会ったイケメンと、デートの約束をしたとき
その他
・自分らしく生きていると実感できるとき
・自分の夢(仕事)に向かって努力している時
・自分の好きなものに打ち込んでいる時間
・心から笑えて、心から自分が好きだと思えてこそ輝いていられる
・女を越えて、一人の人間として充実すること
・ひとのお役に立てたと思える瞬間。経過した時間の多くが報われる
・「あの頃は良かったな。戻りたいな。」と思っていない時。即ち常時、シアワセを感じる
・バリバリ働いてはいないけど、自由に自分を実現できる今の環境がしあわせ
・子供に、産んでくれてありがとうと言われたとき
・生きていること。癌になってからですが・・・
・大切な人たちと一緒に居るとき
・他人と分かり合えたとき
・家族が皆健康でいる普段の生活をしている。ふと、こういうことが幸せなんだな~と思います
・家族の笑顔が溢れる休日を過ごしているとき
・家族が健康に過ごしていること
・夕食後にくつろぐ子供の後ろ姿を見ながら旦那とお茶をするとき
・みーんな元気で穏やかな朝を迎えられこと
・日向ぼっこしている朝
・瞑想しているとき。悟ること
・事情があってペットを実家に預けているので、ペットと一緒に過ごせたとき
・毎晩、フカフカの布団に入った瞬間!!
・何もしないでいい時間
・お天気がいい日、空を眺めながらのんびりする時

第二弾「どんな瞬間、シアワセを感じますか?」
第1位 大好きな人と一緒に過ごすとき
第2位 子ども(家族)が幸せでいてくれること
第3位 誰かに必要とされていると感じたとき
第4位 心から笑えて、自分が好きだと思えるとき
第5位 健康で過ごせること。生きていること
第6位 夢に向かって努力(活動)しているとき。その努力が認められたとき
第7位 のんびり、ひとりの時間を過ごすこと
第8位 他人とわかりあえたとき
その他
・パパと子供が暖かい日が射す窓辺で遊んでいる姿を、台所から見た時
・心が安定しているとき
・大好きな唄や曲につつまれている時
・毎日の食事がおいしいと感じられるとき
・大好きな人と楽しく会話しながらおいしいものを食べているとき
・出産し、母乳をあげたとき
・おいしいものを食べている時
・生きがいだと思えるものに関わっているときそれによって色んな感情を味わえる時
・大好きなぶりのお刺身を食べているとき
・ごはんを食べてるとき
・美味しいものを食べたとき
・家族みんなが朗らかに笑っていられること
・私は妊娠7ヶ月の未熟児で生まれ、45年間たった今でも五体満足でいられる現状に幸せを感じます
・ふとんに入って眠る瞬間
・次の日が休みの晩に布団に入った瞬間
・お風呂につかっている時
・犬と過ごしている時♪
・お気に入りのテレビや映画、歌手が世間から高く評価されたとき

プラス思考1
それは朝会社に行こうとして玄関のドアを開けた瞬間だった。
「バキィ~ッ」
あちゃー、ヒールが折れちゃったぁ。

「この急いでいる時に限ってなんて最悪なの。あー、縁起が悪い。今日一日お先真っ暗だわ。そういえば今日はあの嫌な課長が出張から帰ってくる日じゃなかったかしら?あのセクハラ課長ときたら・・・うぅ憂鬱。会社行きたくなぁーい!」
一般的な反応としてはこんな感じでしょうか。

でもこんな反応をする人もいる。
「通勤途中でなくて良かったわ。今なら靴を変えれば済むもの。なんてラッキーなタイミングだったのでしょう!」
この差はどこから来るのか。

「手を叩く 雀逃げ出し 鯉集まる」
「雪が降り 犬は喜び庭駆け回り 猫はコタツで丸くなる」

出来事自体には良いも悪いもない。私たち自身がその意味を決めているのである。
ここで悪い意味に捉えると、そこから悪い繋がりの連想が記憶から探し出され、連想が連想を呼び、他人からみれば単なる妄想なのだが本人だけはいたって真面目だ。どうして私にばっかり悪いことが続くんだろう?…悪循環のスタートである。
沖に流されてしまったら、あの水泳の北嶋選手だって潮流に逆らって岸に戻ることはもはや出来ない。
太ると分かってたって、食べ始めたかっぱえびせんはやめられない止まらない。
大喧嘩も原因は些細なことだったという経験は誰にでもあるだろう。
一本の煙草が山をも燃やす。

だからポイントは最初の反応にある。最初の反応が全てを決める。
その大事な最初の反応に、私たちはえてして鈍感だ。無意識だ。

「意識的であれ」

これがプラス思考の第一のキーワードである。

幸福論1
幸せになりたい人は最も幸せから遠い人、というのはどういうことだろうか。

人は自分の欠けているものを求める。パソコンを買ったばかりの人がパソコンを欲しがることはない。
つまり幸せになりたい人=幸せが欠けている人=不幸な人ということだ。
逆に、幸せな人は幸せになりたいなどと思うことはない。
ということは、幸せになりたいならば、幸せになりたいと思ってはいけないということになる。
逆説的だが、不幸だと思った時点で幸せになることは絶対にできないのだ。
無意識の「不幸探し」こそが私たちの幸せを阻んでいたというわけだ。

だったら、自分は不幸だと思わなければいい。
たとえ不運な出来事があったとしても、その中に何か肯定的な面を見つけ出せればいい。
こういう場合、「プラス思考」が役に立つ。訓練が必要だが、身に付けておいて損はない技術だ。

青い鳥
生まれてきたからには幸せでありたい。誰しもそう願うものですが、現実はそう甘くない。
花粉症は辛いし、仕事はつまらないし、それでいて忙しいし、上司はうるさいし、部下はへたれ。友人には愚痴を聞かされ、恋人とは喧嘩ばかり。家庭では会話もなく、子どもは言うこと聞かないし、お金はローンに消えてゆく。せめてもの気休めにと旅行にでも行こうものなら、渋滞にはまってイライラはつのるばかり。
一体自分は何の為に生きているんだろう?何の為にこんなに頑張っちゃってんだろう?
幸せになりたい、幸せになりたい、幸せになりたい…。

ところが幸せになりたい人ほど幸せから遠いところにいるもんだ。
一体「幸せ」ってなんじゃらほい?

その一つの答えとして、メーテルリンクは名作『青い鳥』を書いた。
幸せの青い鳥を探して様々な世界を巡るが、結局捕まえられずに家に戻ると、実は飼っていた鳥が青い鳥だったことに気づく。青い鳥は探すまでもなくこんなに近くにいたのだ!
しかし最後に鳥は逃げてしまう。
「青い鳥 を探して下さい。僕たちの幸せにはあの鳥が必要なのです。」

さて、ぼちぼち私たちも幸せの青い鳥を探しにゆくとしましょうか。




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