人は何の為に生まれ何の為に生きるのだろう……僕とあなたの生きる道。   幸せの秘密を知りたい人は「青い鳥」を、悟りの平安を知りたい人は「黄金の果実」を探してみて下さい。「映画」はネタバレ有、ご注意を。

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ある男の至高体験11 ~夢見~
会社を辞めた当初は留学するつもりでいた。
なぜなら欧米かぶれの日本人には欧米文化の輸入が一番手っ取り早い商売になると思ったからだ。

欧米かぶれと言えば「英国式リフレクソロジー」なんてほとんど笑い話である。当時単なるOLだったH氏。趣味で学んだリフレクソロジー(足裏反射区マッサージ)を日本で広めたいと思い立ち、日本人受けしそうな格調高いおしゃれなイメージのネーミングをと考え、イギリスとは全く関係ないのに勝手に付けちゃったんだとか。
それをありがたがってか大流行。先日店に行ったらなんと4時間待ちだとさ。いやはや。
もちろんネーミングだけで流行ったわけではないでしょうけどね。

話は逸れるが、こないだH氏がテレビに出てた。立派な経営者だった。これが数年前までは単なるOLだったとは思えない。
う~ん、立場は人を変えるなぁ。「らしさ」が自然に出てくる。

あと欧米文化の輸入で成功した例は、ネイルアートとかあるね。
まだまだ他にも、例えば心理学の分野を見れば腐るほどある。
カウンセリング、ユング心理学、マーフィーやらナポレオン・ヒルやらの成功哲学、ニューエイジ、エニアグラム、コーチングなどなど。
日本の心理学は10年遅れていると言われていたから、アメリカの最新心理学を学んで日本に帰ってくれば、誰でも第一人者だ。
そして講演活動、スクール開講で大儲け。

そんな目論見で、アメリカの大学のレポートを取り寄せて最新講座をチェックしたり、心理学の基礎を学んだりした。
そんな中で受けたトランスパーソナル心理学の勉強会はなかなか刺激的だった。超心理学(オカルトや超能力など)の教授とか面白い人たちが毎回講義してくれるのだが、中でもユング心理学の女教授の神秘体験談が強く心に残った。
大学時代はほとんど授業をさぼって遊び呆けていたので、あまり教授とかと話をするのは慣れてなかったのだが、とても興味深い話に感銘を受けたので勇気を出して声を掛けてみた。

「あ、あのぅ、今度留学しようと思っているんですけどぉ」

オイオイ突然そんなこと言われても先生困っているジャナイカ。
まずは授業の感想でも言うのが筋だろうに・・・私はアホか。
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ある男の至高体験10 ~決心~
その頃私は何か自分で起業したい、日本に新しいムーブメントを起こしたい、そう思っていた。
思っているだけでは何も始まらないので、取り敢えず会社を辞めた。石橋を叩いて渡るA型の私にしては随分軽率であったなぁと思うし、今どきの若者は・・・などと周りは呆れ返っていたことだろう。
でも人生を変えようと思ったら、どこかで思い切った「バカ」をしなくてはいけないこともある。私にとっては大企業のエリートという線路を走る列車から飛び降りたこの時がそうであった。
とはいえ、やはりA型のはしくれなので(心理学においては血液型性格判断には根拠がないと言われているが・・・)、全く考えなしに思い付きで辞めたというわけではない。
実は就職前からそのことは考えていたので、最初から3年社会で経験を積んだら会社を辞めようと心に決めていたし、その間に会社に内緒で副業を手掛けてみたり、前述の産業カウンセラーの講習を受けたり、人脈を広げようと異業種交流会に顔を出したり、そこで知り合った数人で社会人サークルを立ち上げたりと、せこせこやってはいた。
ただ、会社で学んだ技術を生かして独立、というスタイルではなく、私の興味・やりたいことのイメージは全く違う分野にあったので、退職時点での生計のあては全くといっていいほど無かった。
しかし当初の予定は3年間だったのだ。その間に準備は整わなかったが、準備が出来たら辞めようでは、いつになっても辞められまい。「いつか」やろうでは、その「いつか」は一生来ない。
「やるなら今しかねぇ!(長渕風)」

余談であるが、カウンセラーになりたいと思っている人、あるいは仕事や趣味で何かの技術を学び、将来はそれを人に教えられるようになりたい、教室を開いて先生になれたらいいなぁなどと考えている人、そんな人達に是非私から伝えたいことがある。
「今すぐやってみなさい!」
当然、まだまだ人に教えられる、お金を取れるレベルではないだろう。普通であれば「完全に習得してから」「自信が付いてから」と考えると思う。
けれども実はほとんどの場合「やらなければ完全に習得できない、自信が付かない」のである。だから完全に習得してから、自信が付いてからやろうと思っているならば、一生やれる日は来ないのだ。
人と接する技術である「カウンセリング」ならば尚更である。またその他の技術であっても「人に教えること」によって「逆に教えられること、学べること」というものは想像以上に大きい。
このことは「子育て」を経験した方なら分かるのではないか。子供を育てることによって逆に子供から教えられることがなんと多いことかと実感されている方は多いはずだ。教育論を修めた学者先生よりも、子供を何人も生み育てた肝っ玉母さんの方がよっぽど優れた教育者たりえる。とはいえ子供(精神的)が子供を生まないで欲しいとは切に思うのであるが・・・(ちなみに私の考える結婚適齢期はモラトリアム期がさすがに終わるであろう30歳)

(参考)
心理学者エリクソンのライフサイクル論において、青年はアイデンティティ形成と社会的・人格的成熟を目指す(自分は何ものであるか、自分はどこにどう立ち、これからどういう役割と目標に向かって歩いていこうとするのか)ために社会への義務と責任の猶予期間を要するとして、自己を模索する青年期のことを「心理社会的モラトリアム」と呼んだ。通常は20代前半までと考えられるが、現代ではいつまでもモラトリアムを卒業できず、青年期が引き延ばされている現象が見られる。

幽体離脱に挑戦6
今日は体脱するゾ!と思えば大分出来るようになってきた感じ。

平成17年5月29日(日)AM6:30頃

今日の抜け方は、身体の足元を軸に幽体が直立したまま「スポンッ」と跳ね上がりながら飛び出た。
けれどもドアの方を見た瞬間、身体の方の視覚とダブって二重映像になり、身体の視覚の方へフェードイン。浅かったか・・・

「もう一度!」と思っていたら、また身体が震動してきたので身を任せていると、足だけが身体から浮き上がってきた。
その浮き上がった足を見てみると「幽体は透明」だった。「ほお!」
今度は自然に抜けなかったので、ローリング法(寝返り法)で抜け、身体を振り返ってみたら今回も身体は無かった。うーん?
「今度こそ部屋から出るぞ!」と張り切ってみるものの、相変わらず今回も身体の引力がもの凄い。台風レベルの逆風に向かっていくような感じ。あるいは幽体の頭のあたりにゴムのひもがついていて後ろに引っ張られるような感じ。
身体と幽体をつなぐ「シルバーコード」なるものがある(これが切れると身体に戻れなくなる?)とどこかで読んだ記憶があるが、これがそれなのか?
思い切って水泳の飛び込みやヘッドスライディングのようにジャンプしてみたら、部屋の出口の柱に手が届いた。柱をしっかり掴みながら、なんとか腕力で隣りの部屋へ。「やった!」
・・・その瞬間身体へと戻ってしまった。

幽体離脱に挑戦5
どうやらコツを掴んできたみたい!?
本日はなんと3種類の抜け方を経験した。

平成17年5月24日(火)AM6:30頃

今日も嫁さんを見送った後、対外離脱のチャンスとばかり二度寝に入る。取り敢えず早く身体を金縛りに近い状態に持っていくために、今回は「自律訓練法」を使ってみた。

自律訓練法は、ドイツの精神医学者、ヨハネス・ハインリッヒ・シュルツがつくりあげたものである。1932年に初版が出版された彼の名著『自律訓練法』には、「集中的自己弛緩法」という副題がつけられているが、そのことからも推しはかることができるように、この方法は緊張をとり除くことが基本的課題になっている。一方、その本のはじめの部分には、「自律訓練法というのは、催眠をかけられた時と同じ状態になるように合理的に組みたてられている生理学的訓練法である」とも述べられているように、催眠をもとにしてつくられたものである。

標準練習は、基本的な練習である安静練習を含めると、次のような七段階の練習からできている。
背景公式(安静練習)・・・「気持ちが(とても)落ち着いている」
第一公式(重感練習)・・・「両腕両脚が重たい」
第二公式(温感練習)・・・「両腕両脚が温かい」
(以下略)

『自律訓練法の実際』(佐々木雄二:著)


これが効果を奏したのかどうかは分からないが、一回目の離脱が起こった。
上半身だけが「スッ」と浮き上がったので、幽体(?)の手を使って「よっこいしょ」と身体から離れた。
だがすぐに身体に戻ってしまった。

「もう一度挑戦」と思っていると、左の方からお経のような声がして(この時は霊の声かと感じたが、後から考えると隣りの部屋のテレビの音だったのかもしれない)、離脱できそうな感覚(意識が変化した感覚?)がしたので、今度はとある離脱経験者の方法として書かれていた「寝返り法」を使って「ゴロリ」と寝返りを打つようにして身体から抜けた。
ベッドの下に落ちてから、「抜け殻を見てみよう」と思ってベッドの方を見ると、なぜか身体が無かった。
「あれ?抜けてなかったかな?」と思っていると誰もいないはずの隣りの部屋でガサガサと物音がするのが聞こえた。「泥棒?」と思って見に行こうとするのだが、身体が思い通りに動かず(下半身が歩こうとするのだが上半身がついてこない感じ)、「クラクラ~」と妙ぉ~に眠くなって、「駄目だぁ、もういいや」と思ってベッドに戻って寝直した。

しばらくすると、前回のように主に下半身の方に震動が起こり、「ズルリ」と足元から滑り落ちるようにして抜けた。
床に落ちたのを手で触って確認し、とにかく身体から離れようと歩伏前進のような姿勢でドアの方へ向かう。視界は白い霧がかかったような感じで目指すドアが見えるのだが、上の方に覆い被さるような何かも見える(これは後で枕元のカーテンだったと判明。幽体の視覚と身体の視覚が二重にダブっていたようだ)。
えらい強い力で後ろの方に引き戻されるのを、四つん這いになって必死に抵抗して前に進もうとするのだが、結局力に負けて身体に戻ってしまった。

ある男の至高体験9 ~波乗~
(続き)
結果や見返りを求めないで「自分が原因になる」という生き方は確実に私の人生を変えてくれた。

「万物は流転する」
(古代ギリシャの哲人ヘラクレイトス)


人生には波があるように思う。そして波は絶え間なくやってくる。どの波に乗るかを見定め、さらにその狙ったビッグウェーブに乗れるかどうかは各人の力量次第だ。

高校生の頃、親父サーファーの叔父に連れられて、初めてサーフィンなるものをした。
湘南あたりで始められれば良かったのだが、初心者の私にとって時折チューブの起こる玄人向けとして有名なそのビーチは荷が重く、ランディングポイントに辿り着くだけでも一苦労だ。ポイントに近づくにつれて当然波が高くなってくるわけで、間近で見る高波は恐怖の一言に尽きる。波打ち際で戯れている方がどれだけ楽しいか。わざわざ危険に向かっていくサーファーの気が知れないと思った。そしてなんとかポイントまで辿り着いても、タイミングが合わなければ全くボードは進まないし、合っても小さな波だとちょっとしか進まない。つまらん。また、バランスを崩して落っこちれば波に飲み込まれ上下左右も分からなくなって地獄を見る。跳ね上がったボードが私をめがけて落ちてきた時にはほんと死んだ!と思ったよ。

あの頃は「乳首が擦れて痛いっ!」としか思わなかったが、今にして思えば、まさに人生と同じである。
自分を変えようとすることは難しいし、ある意味恐怖ですらある。
人は変化を嫌う。多少不満があっても現状維持している限りは良くもならない代わりにこれ以上悪くもならない。大きなリスクがないのだから安心だ。多くの人は不平不満を口にしながらも、こうしたコンフォートゾーン(波打ち際)から抜け出ることなく一生を過ごすのだろう。
しかし中には勇気を出してパドリングを開始する人もいる。恐怖に打ち勝って行動を起こしても、まずやり方が間違っていれば波に乗ることは出来ない。時期もある。大波の前後の小波に乗ってしまえば苦労して得たせっかくの幸運も長くは続かないだろう。そしてリスク。失敗すれば世間の波に翻弄され自分を見失ってどん底を這いずり回ることになるのである。

それでも波は絶え間なくやってくるのだ。上手くいくまで何度でも挑戦すればいい。
そうして勇気と行動と方法と時期が揃ったとき、人生は大波に乗った如くに好転し始める。自然に前へ前へと押し出され、やることなすこと上手くいくようになる。今まで私を苦しめていた人生の荒波は、いまや足元に平伏し私の支配下にあり、世間という海の上を、流されることなく自由自在に動き回ることができるのだ・・・「快っ感!」

そんな私のパドリングは、とあるトランスパーソナル心理学の勉強会から始まった。


幽体離脱に挑戦4 ~成功!?
最近まったく進展がないなぁと思っていたら・・・とうとうやりました!?

平成17年5月18日(水)AM6:30頃

共働きの嫁さんを「いってらっしゃ~い」と送り出した後、今日は私の出発はゆっくりめなので、もう少し寝ていようとベッドに入る。最近何も変化が起こらないので、少し強めに「身体から離れたい!」と願って、いつものとおり小説『蜘蛛の糸』の登場人物のように細い糸にぶら下がっているイメージをしながら眠りについた。
すると今日は下半身の方だけ震動が起こり「おっ!」と思ったのだが、すぐにおさまってしまい、「あーあ、残念。今日も駄目かな?」と半ば諦めながらも、もう一度挑戦。
そしたら身体全体が「じわ~」としてきて、突然・・・

「ズルリ」と意識(幽体?)が足元の方にずれていって、すべり落ちるような感じで身体から抜けた!!!

「やった!」
何故だか「壁抜けがしてみたい」と思って寝室の扉の方に向かおうとしたのだが、気づいたら天井の目の前に上を向いて浮かんでいた。電気が目の前にある。
霊的な存在がいるかな?と思って周囲に気を配ってみたが、どうやら近くにはいないようだ。
それで、ひっくり返って真下に寝ているはずの自分の姿を見てみようと思うのだが、うまく反転できない。
しょうがないので、取り敢えずこの部屋から離れることが先決だと思い、その態勢のまま壁の方に向かって泳ぐような感じでじたばたともがいているうちに・・・身体に戻ってしまった。

幽体離脱に挑戦3
どうやら入眠時に幽体離脱を強く意識して寝ると、夜中眠りが浅くなったときに、一度目が覚めるようだ。

平成17年5月4日(水)AM3:00頃

またチャンスが来た!と思って二度寝の直前に、いつものように意識を残しておこうとしていると、身体全体が「ジワジワ~」っと痺れたような感覚になり、突然その感覚が「ドンッ!」と額の辺りに集中するように移動した。
「うぉ!」。一瞬目の前が真っ白になって、意識が「サァーッ」と明るくクリアーになった。

この時ほど強烈な移動感覚は無いものの、この感覚は瞑想において私が「止」と呼んでいる、外界の物音や痛みが気にならなくなる状態と全く同じであった。瞑想の場合はここから、深層意識より夢のような形でイメージが浮かんでくるのをただただ観察することになるのだが、なるほど私の仮説通り、やはり瞑想と幽体離脱のメカニズムは同じであるように思われた。
そんなことを考えているうちに、完全に目が覚めてしまった。

ある離脱体験者によれば、微細な振動(今回のやつか?)から大きな震動(これはおそらく前回のやつだろう)と経過し、その後金縛り状態から幽体を離脱させるのだという。
これまでの経験(といってもまだ一週間も経ってないが)から、これらは順を追って起こるのではなく、身体が眠りに入る瞬間に残した「意識の量」によって違いが出るのではないかと思う。
そして、なるべく「糸のように細く」意識を残した方が良いように思われる。
最近は張り切り過ぎて、意識を残しすぎているようだ。だから目が覚めた後目が冴えてしまってしばらく眠ることが出来なくなる。毎晩寝不足で、正直言って仕事に差し障る。なかなかキツイものがありますが、これからも頑張ってみます。

ちなみに振動中は身体から熱を発しているようで、寝汗がむちゃくちゃ凄い!

幽体離脱に挑戦2
初めての幽体離脱未遂は私が26歳くらいの頃だったと思う。
結構衝撃的な体験だったので、どこかに記録を取ったはずなのだが、残念ながら見つからないので、記憶を辿って書いてみる。

ところで私はまったくと言っていいほど霊感はない。
今まで幽霊を見たことも一度もない。
学生時代、与論島に行ったときに泊まった民宿に、霊感のある友人がどうしても入りたくないという部屋があって、そこに入ったときに「ねっとりとまとわりつくような重~い空気」がなんとなく感じられた程度である。
そんな私だが、神秘的なことに対する興味は人一倍強く、20代の頃は魔術や錬金術、催眠術などの本を読み漁った。その中の一冊に『体外離脱を試みる』(ロバート・ピーターソン:著)というのがあって、一時期そこに載っていたエクササイズを試していたわけだが、そんな頃にそれは起こった。

ある日、入眠時にエクササイズをしていたのだが、そのまま眠ってしまった。夜中の3時頃だったと思うが(これは体験後に確認)、一度目が覚めてしまい、でもまたすぐに眠れそうなウトウト状態のときに、ふと体外離脱エクササイズを思い出し、細い糸のような意識だけを残すようなイメージで睡眠に入った。

その瞬間!「ブルルン ブルルン ブルルン」と三回大きく身体が震動したのだ!

「うわぁー、うわぁーーー!」私は驚愕して大声で叫んだ。
でも隣で寝ていた、いつもなら小さな物音でも起きてしまうような私の彼女(現在の嫁)はぐっすりスヤスヤ寝ていたので、実際には声が出ていなかったのだろう。
それでも何か感じ取ったのか、あるいは偶然なのか分からないが、彼女の腕が飛んできて私の身体に当たり、それで目が覚めたのである。

こうして書いてみると、ほんと昨日の状況とよく似ているなぁ。
ただ昨日の震動は「ブルルン」ではなく「ブーン」という感じのより微細な震動だったし、それが長く続いたというのが異なる点。
不思議なのは、当時そんな劇的な体験があったにも関わらず、その日以来エクササイズをやめてしまったことだ。もう少し続けていれば離脱できたかもしれないのに、なぜか急に興味が失せてしまった。当時の私ではそれを知るにはまだ時期尚早だったということなのだろうか。
だとすれば、今ようやくその時期が来た、ということなのかもしれない。


幽体離脱に挑戦1
最近仲間うちで幽体離脱の話題になり、体験者の話を聞いてみると、どうも悟りの意識へ至る初段階の意識のようにも思われる。
ならば私も体験しないわけにはいかないぞ、と思い一昨日あたりから毎日寝入りばなに挑戦してみることにした。

平成17年5月1日(日)AM4:30頃

こんな早朝になぜか目が覚めてしまい、またすぐにそのまま二度寝に入る。このとき幽体離脱のことを思い出し、意識を残しておこうと眉間の辺りに集中する。

すると身体が「ブーン」という音とともに震動し始めた!

この感覚は今日で二度目なので、今回は焦ることなく冷静に意識を集め、身体が船の上で揺れるようなイメージをしながら「光の世界に行きたい。守護霊様引っ張って下さい」などと念じてみた。
今回は震動が比較的長く続いた。
意識が明瞭になり、身体の寝息がまるで他人のように聞こえる。「ああ、もうすぐかなぁ?」

ただ、その時の姿勢が、ひざがベッドから浮き上がり、身体がやや右に傾き、顔は左を向いているというかなり不安定な状態。さらに薄目が開いており、身体から遠くに離れるまでは目は開けない方がいいなんて誰かから聞いていたから、目を閉じようとするのだが、なぜか意志に従ってくれない。
そうした諸々の身体の感覚が気になってしまい、なかなか抜け出てくれないでいるうちに、嫁の腕が飛んできて、完全に目覚めてしまった。残念。
そういえば、前回も嫁に起こされたんだったっけなぁ。

ある男の至高体験8 ~変化~
(続き)
シンクロニシティは意識的に生きる者、目的を持って生きる者に起こる現象だ。
なぜかというと、「答え」はいつも目の前にあるのに、流されて生きているとそれに気づくことが出来ない。眠っている者には目の前が見えないのと同じだ。「己が原因になるぞ」とはっきりと意識し目を覚ましていようと努力する者だけがそれに気づくことが出来るのである。
それは例えるならば、道路標識は元からそこにあったけれど、免許を取得するまでは目に入らなかった。車を運転してみて初めて「街にはこんなにたくさんの標識があったのか」と驚くようなものだ。

私は生来の面倒くさがり屋で「先延ばし」タイプの人間であった。宿題はいつも休みが終わる前日に慌ててやるようなタイプである。禁煙するのに「よし、明日から始めよう」と思うタイプである。「いつかそうなりたい」と言いながら現状に不平を言っているタイプである。
だから、「まず自分が変わる」「自分が原因になる」を実行しようと思ったとき、特に気合を入れて意識していたのが「いますぐ始める」「一番最初にやる」ということだった。
(ついでに言うと、あと他には鏡に向かって「笑顔の練習」とか、「すいません」を「ありがとう」に言い換える、なんかも意識してやってみた。)

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」 
(米沢藩主上杉鷹山)


例えば、発言を求められたら必ず最初に前に出て発表するとか。
これは何も言うことが浮かばなくても取り敢えず前に出るようにした。そうして本当に何も言えない時には「もう少し考えてみます」とかなんとか言って下がればいい。とにかく今まで出来なかったこと、やっていなかったこと、今までとは違った習慣を付ける為に「まず行動する」という姿勢を大事にした。

そして誰も見ていないところでもそうした姿勢を心掛けた。
例えば、集会なんかで司会者が群集に向かって「○○に行ったことがある人ぉ~?」とか言ったときには必ず手を挙げるとか。
これ、自分としては結構恥ずかしいことの上位に入る。
しかし一体何が恥ずかしいのだろうか?実際のところ大勢の中の一人に過ぎない自分のことなど、見ている人など誰もいないのだ。結局恥ずかしいと思うのは自分の頭の中の問題だけなのである。

ある男の至高体験7 ~共時~
(続き)
心の壁は私がつくっていた。孤独は私がつくっていた。苦しみ、悩み、不幸、不運・・・すべての物事は私が引き起こしていた。私が創り出していた。私に責任がある。私が原因だ!
おぼろげながらにそう思った。
人生を変えたいのなら、幸運を期待するのではなく、相手を変えようとするのでもなく、私が変わらなければならない。いや、私が変わるだけでいいのだ。
結果に翻弄されるのではなく、己が原因となる生き方。
それからの私には、いわゆる「シンクロニシティ」が頻繁に起こるようになった。

シンクロニシティ(共時性原理)とは、20世紀を代表する心理学者ユングが提唱した概念で、因果律によっては説明できない「意味ある偶然の一致」などとも意訳されている。
これに関しては、ユングが患者と分析(カウンセリング)中、昨夜スカラベ(黄金虫)の夢を見たと患者が語った丁度その時、窓から黄金虫が飛び込んできた。それ以後行き詰っていた分析が飛躍的に進展したという逸話が有名だ。
ユングでなくとも、こういった経験は少なからずあると思う。
例えば、ある言葉を口に出した瞬間テレビで同じ言葉を言っていたり、ある人の噂をしていたら本人が現われたり。

もちろんその程度であれば単なる偶然で片付けてしまうのであるが、私にも「意味ある」偶然と思われるこんな経験があった。
ミュージシャンになりたい、そんな夢を捨てられず会社を辞めた同僚がいた。その後彼の勇気に触発されて、起業の夢を抱え私も退職した。それから数ヶ月、思ったように事が進まず不安になっていたときに、ふと彼は今頃どうしているだろうか?そんなことを思い浮かべたその日の午後。私は池袋に買い物に行ったのだが、なんとなくいつもと違う道を通ろうという気になってそちらへ歩いていくと、なんと交差点でバッタリと彼に出会った。いやはや驚いた。そして彼の頑張っている話を聞いて、また少し勇気を分けてもらうことが出来た。
一所懸命生きていれば、その時に必要な人が必ず現われてくれるのだ。

また、こんなこともあった。
少し時間が出来たので前から気になっていた店に行ってみようと思って出掛けたのだが、気晴らしに遊びに行きたいという誘惑もあり、迷い始めた。だが意を決して店に行くことにし地下鉄に乗った。そして最寄駅に到着し改札を出て階段を昇っていたとき突然、どうしても今日中に送らなければいけない書類を鞄の中に入れていたのを思い出した。もうすぐ郵便局が閉まってしまう時間だ。どうしよう、急いで探さなければ。焦りつつ地上に出てみると、なんと目の前に郵便局があったのだ。
このとき「ああ、正しい道を進んでいるんだなぁ」という感じがした。

ある男の至高体験6 ~宿業~
(続き)
では、輪廻の原因とも言える「臆病な自尊心」は一体どこから生まれたのか。
これはきっといわゆる優等生病というやつだと思う。
例えば、100点を取ったら褒められるという経験が続くと、100点を取らないと褒められない、認められないと思うようになってくる。
そうして人から優等生であると認められることが自分の存在価値だという思い込みから、他人からの評価を異常に気にするようになる。「評価への恐怖」。

最近の子供には「良い子」が多いという。そんな子供たちの心の闇にもきっとこの恐怖が巣食っている。もしも「うちの子は良い子だから手がかからなくて安心だわ」なんて悦に入っていたとしたら・・・早く気づいてあげて!

そして、この恐怖に対して「補償」という心の防衛機制が働き、なかば強迫的に努力して人より優れていることを証明し、評価を得ようとするようになるわけだ。
私は自他共に認める「努力家」であったが、このつながりに気づいた時「あぁ、私の今までしてきた数々の努力は、全て宿命だったんだなぁ」という想いがしみじみと感じられて天を仰いだ。

こうして生まれもった資質と幼少期の環境から否応なしに決定される「宿業」によって、私は努力し続け、他者比較による優越感が積み重ねられて自尊心が生まれた。
けれどもこれは他人からの評価に支えられた「臆病な自尊心」だった。
人の目を常に気にして神経をすり減らしながら生きてきたわけで、そりゃノイローゼにもなるわけだ。

~No.1にならなくてもいい もともと特別な ONLY ONE♪~
以前SMAPの『世界にひとつだけの花』が大ヒットしたその裏には、私のような「臆病な自尊心」を無意識に抱えている人が思いのほかたくさんいたんだろうなぁ。

・・・よく頑張ったね・・・

ある男の至高体験5 ~輪廻~
(続き)
心理ゲームによって気づかされた「心の壁」。それは「高慢さ」であった。
そして私が心理カウンセラー試験に落ちた理由も、まぎれもなくこの高慢さにあったのだろう。私がカウンセリングにおいて興味があったのは、相手の心であって相手そのものではなかった。気づかせてあげたい、そんな偉そうな気持ちがあった。そして気づかせてあげられるだけの知識と技術を持った自分への陶酔。
もしも面接官がそこまで見抜いて私を落としたのであったならば、今となってみれば心から感謝したい気持ちで一杯だ。とはいえ当時は見る目のないヘボ面接官に当たって運が悪かったと罵詈雑言を浴びせていたのだが。
この私の中の高慢さは自尊心であり、孤独でも生きていけると思い込むために必要とした見せかけの強さだったのかもしれない。
それは名付けるならば「臆病な自尊心」であった。

『山月記』という話がある。才能もあり気高い自尊心を持っていたものの、臆病にも実は才能のないことがばれてしまうのではないかと怖れて、人と交わるのを避けているうちに、膨れ上がった自分の中の傲慢さへの羞恥心から醜い獣の姿になってしまう男の物語だ。
この男の自尊心もまた「臆病な自尊心」であった。
ならば私もまたこの男のように醜い獣の姿になりかかっていたのだろうか。あるいは既になってしまっていたのだろうか。

私は「臆病な自尊心」という見えない心の壁を張ることで「自己愛」を強め、「他人に対する無関心」を表層意識上装ってきた。
しかしながらそれは全てが無意識に行われていたために、自分では本当に自分のことが大好きで自分以外のものには興味がないと思い込んでしまっていたのである。
そうして心を閉ざせば閉ざすほど、当然人は当たり障りのない表面上の付き合い以上に深く関わろうとはしなくなるわけで、そうすれば必然的に「孤独」を感じるようになってくる。
ところが人は「愛されたい、認められたい」という自己保存に基づく本能が生まれながらに備わっているので、どんなに一人の方が気楽だと思っていたとしても「孤独に対する恐怖」は必ずそこから生じてしまうのだ。
しかしその恐怖の感情を認めてしまうと、生きていくのが辛すぎる。だから心の防衛機制が働き、そんな感情など無いのだと思い込む「抑圧」、あるいは孤独を正当化するための言い訳である「合理化」によって、低レベルな人に好かれてもしょうがないなどと考えて自分から選んで孤独を求めているのだと思い込むのである。
こうして「臆病な自尊心」という名の「高慢さ」が高まり、さらに「孤独」な状況を作り、ますます「高慢さ」が高まり・・・。

永遠に続くメビウスの輪。

ある男の至高体験4 ~法悦~
(続き)
互いに抱き合うことを業界用語(?)で「ハグ」という。これ、第三者から見たらかなーり怪しい集団に見えるだろうな。特に日本では。
私もそういうのは嫌いなタイプだったけれど、あのときは本当にそうすることが自然な感じだった。
非日常的空間の中で自己の本性が顕わになった瞬間とでもいうのだろうか。

非日常といえば、私は伝統仏教の僧侶向けの大法会に参加したことがある。
部屋を真っ暗にしたり、火を焚いたり(そこは密教ではなかったので護摩ではない)、五体投地礼拝したりして、自己を非日常的空間(仏の世界)へと投げ入れる。
あのときの感覚も結構凄かったな。
身体がどんどん浮いていって、正面の仏にずんずん近づいていく感じで、仏の御顔がズームになってグッと大きく迫ってくるんだ。
その時に天上から妙なる美しい音楽が流れてきて私の身体を包み込んでゆく・・・

・・・ハーレルヤ ハーレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレールーヤー・・・
あれ?ここは仏教ではなかったっけ?
なぜか主の栄光の国の訪れを喜ぶキリスト教の賛美歌、ヘンデル『メサイヤ』のハレルヤコーラスが頭の中に鳴り響いた(お釈迦様ごめんなさい)。

このときいわゆる法悦を感じて自然と涙が溢れてきた。
すると後ろから光が差し込んできて(これは演出なのだが)、法悦の境地に浸っていたためか、部屋全体がキラキラキラキラと黄金色に輝いていて、それは本当に本当に綺麗で、そして本当に気持ちが良かったんです。極楽往生の心境はきっとこんな感じなんだろうね。

けれども「気づき」みたいなのは無かったな。泣いている人もそんなに多くなかったし。
そういう意味では現代心理学の成果を反映させた自己啓発セミナーの方が一枚上手だったかもしれない。あれは本当によく出来ている。機会があったら一度受けてみるといいと思う。ただ、中には洗脳セミナーもあるのでご注意を!

ある男の至高体験3 ~恐怖~
(続き)
私は「孤独」を愛した。いや、そう思い込もうとしていただけかもしれない・・・「孤独に対する恐怖」を押し隠すために。

私には友人がたくさんいたが、胸を張って親友だと呼べる自信は私にはなかった。いつも仲良し三人組とか五人組とかの一員だったけれど「好きな人同士ペアを組んで」などと先生から言われると、いつも心臓が高鳴った。生きた心地がしなかった。

私は自他共に認める冷血人間だったが、それでも若いうちはそれがクールに見えるのか、なぜか結構モテた。お蔭で「去る者追わず」なんて言って格好付けていたけれども、内心はちょっと付き合ったくらいで「俺、結婚するかも」とか「こいつのためなら死ねる」とか言える友人たちが羨ましくて仕方がなかった。私は中学の時の片想い以来、燃え上がるような情熱的な恋愛感情とは無縁だった。いつもどこか冷めていた。自分は一生人を愛すことのできない欠陥品なのではないか?と本気で思っていた。

私の遅刻癖もまた、その裏には相手に遅刻されることへの不安があったのだと思う。もっと言えばすっぽかされることへの恐怖。人から軽く見られるのがたまらなく嫌だったのだ。なぜならそれは、私が愛されるに値しない人間であることを証明してしまうから。「孤独に対する恐怖」が確かにそこにあった。

そうした心の闇に初めて気づかせてくれたのは、とある自己啓発セミナーに参加した際の心理ゲームの一つであった。
私の高慢さと孤独とを増大させた自己啓発セミナーが、皮肉にもその闇に気づかせてくれた。
「人が私の言うことを受け入れてくれないのは、彼らのレベルが低くて理解できないせいだと思っていた。そうじゃない!私の方が彼らを受け入れようとしていなかったんだ。私の方から彼らを遠ざけていたんだ!」
「心の壁」を造っていたのは私であった。
人前で泣いたことのない私であったが、このときばかりはこみ上げてきた熱いものを押しとどめることができなかった。馬鹿みたいに半ば笑ってでもいるかのような声をあげて私は泣いた。
私につられてなのか、それともそれぞれに思うところがあったからなのか、1/3くらいの人が泣いていたように思う。
そしてダムが開いて流れ出た水が河に合流するが如く、お互いに抱き合った。男も女も関係なく「心の壁」なんて元々なかったんだと証明したいかのように、自然に抱き合っていた。そこにはエロスなど微塵もなく、全き自然であった。

ある男の至高体験2 ~孤独~
(続き)
成功哲学とは潜在意識の活用だ。心理学の範疇である。だから自然と心理学を学ぶようになった。

そのうちに心理カウンセラーの資格を取ろうという気になった。半年間の講習を受けて、資格試験に臨んだ。一次の筆記試験をなんなくクリアし、二次の面接&ロールプレイング(模擬演習)も無難に終えた。この試験は「厚生労働省認定産業カウンセラー」という資格で、当時受験者の約6割が合格できると言われており、今まで、受験、就職と、何十倍もの倍率をくぐり抜けてきた挫折知らずの私にとってみれば、決して難しいものではなかった。

ところが見事に不合格・・・カウンセリングの知識も技術も人並以上にあった。だから落ちた理由は明らかに「人間性に問題あり」と判断されたとしか考えられないのである。勉強不足で落ちたのとはわけが違う。これは物凄くショックだった。存在自体を否定されたようなものなのだから。
半年くらいは何もやる気が起きず、息をしている死人のような状態で過ごした。幸い何事も少欲のためか自殺願望までは起こらなかったので今ものうのうと生きていられるのだが。
たかが試験で落ちたくらいでと思うかもしれないが、私にとってはそれ程のショックであった。

その後信じられるのは己だけだと感じ、ますます新しい知識を積み重ねて自分を高めていくことに夢中になった。付き合う人は、自分にとって役に立つか立たないか、それだけの基準で選んだ。こうして知識と経験と人脈が増えていくにつれて、自分に自信がついてくると、同世代はおろか目上の人にさえ「この歳でこの程度か」とも思うようになってきた。どうして私のアイデアの素晴らしさが分からないの?
私は、人が私の言うことを受け入れてくれないのは、彼らのレベルが低いために理解ができないせいだと思っていた。
そうした「高慢さ」が私をますます「孤独」にしていった。

思えば小さい頃から私は孤独であった。
人間関係が上手く出来なかったわけではない。友達はたくさんいた。ただ人間関係が煩わしかった。大勢で遊ぶよりも独りでいることの方が好きだった。人並みに女性にモテたいという願望は強く、その為の努力も惜しまなかったが、そんな努力をする自分が大好きなナルシストであって、女性を含めて他人にはあまり興味がなかった。だから待ち合わせにも必ず遅刻していて、自分はやるべきことがたくさんあるんだから暇な人には待たせておけばいいんだくらいに考えていた。

私は「孤独」を愛していた。


ある男の至高体験1 ~理想~
「すべてが在る!」・・・そして私はすべてのものから祝福された。

私にそれが起こったのは、28歳の秋。おだやかな朝であった。
掃除を終えていつものように瞑想に入る。
心は鏡だ。目の前の汚れを拭き取れば、それを映し出す心からも汚れが除かれる。そのために掃除をするのだと、どこかで読んだ記憶がある。
「諸惡莫作 諸善奉行 自淨其意 是諸佛教」、心を清めなさいと釈尊は語られた。それは勿論このような意味ではないが、一つの解釈としては面白い。
それで瞑想の前には必ず掃除をすることにしている。

私は26歳のときに縁あって、とある御住職の下に弟子入りをした。理由をよく聞かれるのだが、不思議な仏縁であったとしか言いようがない。

若い頃の私は夢追い人であった。夢を達成することこそ人生の成功であり、自己実現であると信じていた。成功哲学を読み漁り、自己啓発・能力開発セミナー会社に入り浸った。そこには精神的にも経済的にも凄い大人たちがたくさんいた。
彼らは家賃50万円以上のマンションに住んでいた。飽きてしまったときのために分譲ではなく賃貸にしていると言っていた。フェラーリにも乗せてもらった。海外にもしょっちゅう行っているようだった。そして彼らには確かにカリスマ性があった。理想の暮らし、理想の生き方、理想の人格がそこにあった。
彼らと接していると、同年代の友人たちが馬鹿にお子様に思えた。彼らの会話がひどくつまらなく感じた。どうしてこんなくだらない話題で盛り上がれるのだろう?どうしていつも愚痴ばっかり言っているのだろう?
「鷲と共に飛べ」、これはこの頃よく聞かされた教訓である。しかしそれは理想の大空へと飛び立つ代わりに、帰る場所を無くした渡り鳥のようでもあった。小さい頃からいつともなく抱えていたのであろう小さな小さな孤独の闇は、ここにきて気づかない内にじわりじわりと広がっていたのかもしれない。


悟りと科学
レーザー光線を使った立体映像に「ホログラム」というものがある。
2004年発行の壱万円札と五千円札にも採用された、角度によって色や模様が変わって見えるアレである。
この技術を「ホログラフィー」という。物体で回折を受けた光波(信号波)と別の一様な光波(参照波)とを干渉させて生じた干渉縞を写真乾板などに記録し、それに別の光波を当てることによって信号波を再生し、物体の立体像を復元する方法である。
簡単にいうと、何がなんだか分からないまだら模様である「干渉縞」に、実は物体の三次元的な形状が記録されており、光を当てるとその隠された立体像が再生される。
このホログラフィーの摩訶不思議なところは、この干渉縞のフィルムの一部だけを切り取って使っても、どこも欠けることなく元の全体像が現れるのだ。
それぞれの部分は部分として機能しながらも、部分の中に全体が宿っている。

「一即一切 一切即一」(一つのものはすべてであり、すべてのものはひとつである)
個は個としての役割、人生を全うする。それぞれの個は相対立しながらも、互いに他を含み合い、一つである。個のそれぞれはその内に全体を宿しているのである。円融無碍。
その関係性の総体こそが自己である。そこでは全体が自己なのである。私は世界である!

このホログラフィーからヒントを得て、物理学者のデビッド・ボームは「ホログラフィー宇宙モデル」という仮説を提唱した。ホログラムは静的・固定的だが、宇宙は動的・流動的であるため「ホロムーブメント」と呼んでいる。立体像に当たる私たちの目に見える秩序(現象)をエクスプリケイトオーダー(明在系)、干渉縞のフィルムに当たる隠された内臓秩序をインプリケイトオーダー(暗在系)として、素粒子はある揺らぎの確率に従って暗在系から明在系に出てきてまた暗在系に戻る。その繰り返しが模様となって、物体ないし世界が認識されるのである。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。『方丈記』

悟りは有るのか無いのか
悟りなんてない。それなのに古来より人はそれを求めてきた。
やはり悟りはあるんじゃないか?
そう、悟りはある。と同時にやはり悟りはない。
有と無が矛盾することなく併存する世界。しかしそこには有も無もない。
有も無もないが有も無もある。これが悟りの世界である。
有と無の二相から離れることで、あるいは超えることで、有と無とを同時に手に入れることが出来る。それが悟りである。

何やら抽象的になってしまった。
こうした訳の分からないことも、科学を使えば分かった気になれるのが現代のいいところだ。量子物理学における「シュレーディンガーの猫」の思考実験をご存知だろうか。

まず、フタのある箱を用意する。この中に猫を一匹入れる。箱の中には他に、放射性物質のラジウム、粒子検出器、さらに青酸ガスの発生装置を入れておく。
もし箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これを検出器が感知し、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、猫は死ぬ。しかし、アルファ粒子が出なければ検出器は作動せず、猫は生き残る。
さて、箱の中の猫は生きているか、死んでいるか?
量子力学では観測前の猫の状態は原理的に生と死の重ね合せの状態であり、状態はシュレーディンガー方程式に従って決定論的に変化する。つまり、箱の中の猫は完全に死んでいる状態と完全に生きている状態が重なり合っている(半分、という状態がどこにも存在しないことに注意)という奇妙な状態が続いていると考える。
しかし観測結果は、常に生きている猫と死んでいる猫のどちらか一方である。

すべてを内包する可能性の折り重なり、これが悟りの世界(「無」)だ。
私たちの意識は常にそこにつながっている。例外なくどんな時でもだ。
そして意識を介して、いまここにおいて真実(「有」)が開示され続けている。
生きている猫を私が見た(選択した)ならば、猫は生きているのだ。
死んでいる猫を私が見た(選択した)ならば、猫は死んでいるのだ。
生きている猫を私が見ているのに、猫は死んでいたということは決してないのだ。

ただ心が過去や未来に行ったり来たりと落ち着かないせいで、私たちは普段そのことに気がつかない。
目の前にある真実を、ありのままを、受け入れることが出来ない。
意識に心をピッタリと添わせたとき、真実(「今」)はいつもここにあったということを明らかに知るのである。これを悟りという。





いばらの道
「幸せ」と「悟り」とは、その構造的に大変よく似ている。両者とも自己の外部に求めるものでなく「今ここにあるもの」であり、得たり失ったりするものでなく「在りて在るもの」である。
しかしもちろん違いはある。
「幸せ」はじわじわぁ~と噛みしめるように、優しく広がってゆくように感じられるものであるが、「悟り」は百千の太陽が同時に輝くようであるとか、セックスのエクスタシーの何十倍の歓喜であるとかの表現が示すように、強烈な感覚を伴う。
「幸せ」は人生を付加的に豊かにしてくれるスパイスのようなものであるが、「悟り」には人生を変えてしまう程の力がある。
そして最も大きな違いは、「幸せ」を求めることには何のリスクもないが、「悟り」を求める為にはリスクを背負わなければならないのだ。
「幸せ」を求める道は「希望の道」である。
「悟り」を求める道は「絶望の道」である。

ニューエイジ書にあるような口当たりの良い言葉はまやかしだ。
「ありのままでいいんだよ」「やりたいことだけすればいい」
これらの言葉は嘘ではない。だがしかし、覚者が希望の道を歩む者に対して投げかける言葉であって、求道者にとっては悪魔の囁きに等しい。
求道中にもしも、それは理解できる、受け入れられる、共感できる…そう感じたならば、巨石を抱えて海に飛び込むようなものだ。即刻その石を手放しなさい。

つまり悟りを得る為には、価値観を壊さなければならないということだ。それは今まで積み上げてきた人生の全否定だ。「私」を殺さなければならないということだ。それはアイデンティティの崩壊だ。
「黄金の果実」というと甘美なイメージがあるが、その実は白雪姫の「毒りんご」なのである。一度死んで、王子のキスで眠りから覚めることが出来なければ、現実に適応出来ずにそのまま廃人ゆきは必至である。
それでいて、悟りを得たらどんなご褒美が待っているのかといえば、答えは「得るものは何もない」だ。覚者は言う。「悟りなどない」のだと。
それでも尚!という覚悟がないならば、今はまだ悟りへの道を選ぶ時期ではない。

黄金の果実
「黄金の果実」という名称は、私の好きなマンゴーをイメージして付けたのだが、一般的にはシークヮーサーやサジー(沙棘)、あるいは、かりんのことを指すらしい。
少し意外なのは、イタリア語でトマトを意味するポモドーロも「黄金の果実」という意味なのだそうだ。

もちろんここでいう「黄金の果実」とは、こうした実在する果物のことではない。
西洋の錬金術や中国の神仙道(練丹術)において「黄金」とは、最後に残る人間の本質的かつ最も神的な部分の象徴だ。
ハリーポッターで一躍有名になった「賢者の石」。それは卑金属を金に変える究極の物質であり、またそれは永遠の生命をも可能にする「生命の秘薬(エリクシール)(丹砂)」でもあるという。
それを飲むことによって、卑金属が黄金に変わるが如く、人間の意識が変容して「不死(悟り)」を得ることができるのである。

かぐや姫は輝く金の竹から生まれ、月に帰る際に不死の薬を帝に残していった。
ところで金の竹から生まれたのではなく、かぐや姫が竹を金に変えたのだとすると、かぐや姫は賢者の石を所有する「秘儀を究めた者」だったのかもしれない。

不死の霊薬はインドにもある。「アムリタ(甘露)」といわれ、本来はインド神話などに見られるように神々の飲み物を意味しており、これを飲むと不老不死になるという。

バレエが好きな人なら「黄金の果実」というと、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』を思い出すかもしれない。この不死鳥の食べ物こそが魔法の木に実る「黄金の果実」だ。

「黄金の果実」は、ロシアの民話『処女王(眠り姫)』にも魔法の庭にある目を癒す果実として登場する。目を癒すというのは、目を開く(開眼)、あるいは目を覚ます(覚醒)と関係が深そうだ。

不死、開眼、覚醒・・・黄金の果実を手に入れることによって一体私たちに何が起こるのだろうか。
それは自分自身で確かめるほかないのである。
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